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月乃
その日は運動会だった。運動会、と言っても、自分が出場したわけでも、家族の運動会を見に行ったわけでもない。小学校教諭の月乃にとって、運動会はただの『仕事』だ。
とは言え、達成感がないわけでもない。担任している子どもたちのリズムダンス種目が成功したことは嬉しかったし、今年は運動会の行事担当にもなっていたから、大きなケガや事故もなく時間通り無事に終わったことは何とも言えない達成感があった。
いつもなら一番遅くまで学校に残って、夜の八時九時まで仕事をする月乃だけれど、今日は定時の五時には職員室を後にする。
「お先に失礼します」
言い慣れないセリフが何だか恥ずかしい。
けれど、これは今日の任務完了などではなくて、次の任務に備えているにすぎない。
そう、今から運動会の打ち上げなのだ。
今学期の親睦会の幹事にも当たっている月乃は、予約した居酒屋へ一番に入らなければならなかった。
家が遠い先生達やもう少し仕事をしたい先生達はそのまま現地に直行するみたいだけれど、月乃は一度家に帰りたかった。運動会を終えた今は体中が汗でべとべとで、今すぐにでもシャワーを浴びたい。
予約は六時半。三十分前に現地に着いておくと考えると、家に帰ってシャワーをして居酒屋着まで一時間ほどしかない。
そもそも、打ち上げなわけだし、そんなに早く着いておく必要もない。先に誰かが着いていても叱られるわけでもないのだけれど、月乃の性格上そうしなければ気がすまないのだ。
何で打ち上げに行くのにこんなに一生懸命なんだろう……
そんなことを思いながら、月乃は早足で駐車場に向かい、薄桃色のラパンにエンジンをかける。五月末でわりと暑かった今日も、夕方になり日が傾くとだいぶ涼しくなっていて、熱気のこもっていた車の中もすぐ快適になる。
月乃は運転席に座ると、いつものルーティーンで首に下げた名札を取り、紐をくるくる丸めてドアポケットに入れた。
いつだったか、帰りに名札をつけたままコンビニに立ち寄ってしまい、「お姉さん、名札ついてますよ」と店員に言われて個人情報ダダ漏れの自分に恥ずかしい思いをしたことがある。
それからは、学校に着いた時にドアポケットから名札を出してつけ、帰りはその逆で名札を外してから車を発車させるのが決まりのようになっていた。
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