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あれから一年
「今日も来られたんでんなぁ!アイツも首を長して待ってまっせ」
僕の姿を見た飼育員さんが愛想よく声を掛けてくれた。それに「どうも」と返事をしていつもの場所に向かった。
「今日も来たよ、ケン」
ペンギンブースで日向ぼっこをしているケンに声を掛けた。他のお客さんもいるからこちらに向かってあの時の様に話しかけてくることはないが、僕の事を認識していることは分かっている。少し首を傾げて片手を上げてくれたから。
ケンはあれから一年程したある日ひょっこり戻ってきた。失踪してからかなりの時間が経っていたので、諦めていただけに大変なニュースになった。皆失踪中に何処に居たのか疑問に思っていたが、僕だけはケンが本当に北海道まで行ってきたことを知っていた。
ケンが戻って来る少し前、北海道のローカルニュースで小さな記事を見つけていた。天日干しをしていたスルメが盗まれる事件があったが、現場には獲れたてのイカが代わりに置いてあった。しかも近くには鳥の足跡のようなものがあったそうで関係者は困惑したそうだ。このニュースを見た時、これはケンの仕業だ!と直感した。律儀な様が想像出来て思わず笑みが漏れ無事だったことにホッとした。
「どの子が漫画のケンちゃん?」
「どの子だろうねぇ、呼んでみようか」
近くで親子連れがペンギン達を眺めながらケンを探していた。
僕の人生もケンと出会った事で大きく変わった。
僕はあれからケンを主人公にした漫画を描きネットで公開したのだ。僕がケンに励まされたように、同じように悩んでいる人にエールを送りたいと思ったからだ。最初はつたない絵で読んでくれる人も少なかったが、関西弁を喋るおっさん臭いペンギンは描いている内にじわじわと人気が出て来ていた。それがケンが戻ってきた事で話題となり一躍人気漫画となった。今はなんとか漫画で食べていけるまでになっていた。
そしてこうして時々水族館を訪れている。描き始めた時の気持ちを思い出すためと、ネタに詰まった時こっそりケンに取材するために。
就職活動で悩んでいたあの時の僕に言いたい。少し踏み出すだけで、今の生活は全く想像していたものとは違うぞ、と。
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