飛ぶことと見つけたり

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 その二人組はやたらと長い棒を持って、ベンチに座る俺の目の前を通り過ぎて行った。普段、長い棒など踏切くらいでしか見ることはないが、それよりもよっぽど長い。十メートルほどあるのではなかろうか。  腕時計を見た。六時二十五分。祐子の作る夕食は七時半きっかりからと決まっているので、まだまだ時間はある。俺はそっと彼らの後をつけた。怪しい目的ではない。ぶつぶつ呟きながら歩く彼らの顔には、青春の輝きがあったからだ。  青春の輝きとはなんぞや。  それは言ってみればミドルティーンたちに与えられた特権と呼ぶべきものである。もちろん歳を食ってからでも青春は謳歌できるが、その時期にしかできない青春があるものもまた事実だ。青春の輝きの最たるものは甲子園球児たちであり、球児たちの額で光る汗は、いわば青春のダイヤモンドである。  高校球児に比べると、俺が見た二人組の汗はダイヤモンドとは言い難く、せいぜい豆電球くらいかもしれないが、それでも俺には十分眩しかった。  彼らが向かったのは、公園の東側を流れる川だった。幅は広い所で五メートルほどの小さな川で、定年退職後に暇を持て余してしまったじいさんたちが釣りをしている。二人の男は、そんなじいさんたちから少し離れた場所に掛けられた桟橋の所まで歩いていき、立ち止った。腰に手を当て、何を話すでもなく佇んでいる。  男たちは、手に持った長い棒をおもむろに水面に突っ込み、桟橋に立てかけたと思うとコクリと頷きあった。なんだか知らないが、あふれ出る友情パワーのようなものを感じ取った俺は、なんとなくビリっときてしまった。 棒を川に突き刺した男は黙って振り向き、二十メートルほど後に歩いて行った。もう一人の男は歩いて行った方の男の背中を見送ったと思うと、近くにあった石に腰かけた。後に歩いて行った方の男が大きな声で叫んだ。  「鎌田さーん、行くよー!」  鎌田さんと呼ばれた男は黙って親指を立てた。なかなかダンディーな笑顔だ。いや、それよりも。  今から何が始まるというのだろうか。二十メートルほどの距離をあけ、一人は前後に体をゆすりだし、座っている鎌田さんはダンディーな笑顔とは裏腹な、やるせなさあふれ出る座り方で、ちょこんと石に腰かけている。鎌田さんじゃない方がこれから何か始めるようだが、それ以上の予想はつかなかった。  突然、男は全速力で川に向かって走り出した。鎌田さんの前を通り過ぎ、一直線に川に向かったかと思うと、勢いよくジャンプして棒の真ん中あたりに飛びついた。ただ立てかけてあるだけの棒だ。彼がしがみついた瞬間、勢いよく大地にそそり立ち、そのまま前のめりに倒れはじめた。  「あーららー」  鎌田さんが悠長な間延びする声を発した。俺にはまっすぐジャンプしたように見えたのだが、実はバランスを崩していたらしく、川に対して直角に倒れていくように見えた棒は徐々に方向修正し、最後には彼の「めー」という奇妙な断末魔の声一つを残して、水しぶきをあげたのだった。  「あーららー」  鎌田さんの方からも、もう一度声が上がった。  三十秒くらいしてずぶ濡れの男が川から這い上がって来た。二人は波紋の残る水面を眺めながら、何か呟いては頷いている。何を話し合っているのかは分からないが、とても真面目な顔だ。  おったまげた。何だこれは。  「あの・・・。すいません」  俺は思わず声をかけた。彼らの額に光っていた青春の輝きよりも、今は彼らの行動の方が気になった。目の前で起こった何やら分からぬ光景を黙って通り過ぎるなど、求道者たる国語教師のプライドが許さない。  二人は驚いたような顔で振り向いた。突然声を掛けられたからか、男たちは少し怪しげな人物でも見るかのように俺を見た。確かにこそこそと人の後をつける俺は少し怪しいかもしれないが、棒に飛びついて川に飛び込んでいるあなた方はもっと怪しい、と俺は思う。  「何をしてらっしゃるのですか?」  俺が尋ねると、鎌田さんと呼ばれた人が口を開いた。  「え?ああ、これ。フィーエルヤッペンという、まあ、スポーツの一種です」  「フィーエ・・・何です?」  「フィーエルヤッペン。日本じゃあんまりお目にかかれないスポーツだけど、オランダ発祥のれっきとしたスポーツですよ」  フィーエルヤッペン。  なんと禍々しい響きだろう。新手のヨーロッパ製ダイエット器具のようではないか。違うか。俺は今しがた見た奇妙な行動と、中身の想像しにくい秘密主義的な競技名を何度も頭の中でリピートした。  俺の顔が奇妙だったのか、鎌田さんは笑って言った。  「どうですか。考える前に、一度やってみませんか。奇妙なスポーツかもしれないですけど、やってみれば面白いんですよ」  鎌田さんじゃない方もうんうんと頷いている。  「やってみます」  今考えても理由は分からないが、俺はその時即答した。  「お、いい決断力していますね。僕はサポートを専門にしています、鎌田です」  そう言って鎌田さんは嬉しそうに笑った。芸術的なまでに白い歯が印象的だった。  「僕は、競技をやっている鵜殿です」  二人は手を差し出した。アスリートらしい、立派な二の腕がシャツから覗いた。  「押井です」  俺たちは、甲子園球児の次くらいに熱い握手を交わした。青春の門が、開いた瞬間だった。  つづく
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