飛ぶことと見つけたり

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 向こうのチームは四人だった。少しがっかりしたが、よくよく考えてみれば両チーム合わせて七人もの人間がこの競技をやっていること自体、奇跡的なのかもしれない。俺だって、実際この目で見るまで、この競技のことは知らなかったのだから。 相手チームの中に、どこかで見たことのある中肉中背の男が、こちらに背中を向けて立っていた。顔は見えないが、色の違う側頭部と後頭部、不自然に三日月型に禿げた頭。  山下だ。  やつはゆっくりと振り向くと、俺の姿を確認し、びっくりしたような表情を浮かべた。どうやら俺の参戦は知らなかったらしい。俺たちは同じ動きで歩み寄り、お互い満面の笑みを顔いっぱいに張り付けて社交辞令の挨拶をした。  「おやおや、押井先生、これは奇遇な。昨日の試合は残念でしたな。ま、例え勝てたとしても次は我が校。いい試合が出来ればそれでよし、ということでしょうか」  相変わらず嫌みな野郎だ。俺はやつのカツラを引っぺがしてホルマリン漬けにし、やつの高校の理科室に寄付してやりたくなった。大した理科室ではないが、世にも珍しい標本が手に入ると喜ぶだろう。生物教師である川中は筋金入りのフナムシ・フリークらしいが、そんな川中も喜ぶに違いない。  「拝見してくださっていたとは光栄ですな、山下先生。先生のところはお強いですからな。特に今年はピッチャーの筧君がいるし。他には、はて、誰かいましたかな」  俺は長い間考えるふりをした。渋い面を作り、いないという結論を出し口角を少しあげた。どうだ。  山下の眉間に深い皺が刻まれた。何か訴えたそうな顔でこちらを睨みつけている。いい表情だと言ってやりたいところだが、おそらく俺も同じ表情をしているだろうから、やめにした。腹が立って仕方がないが、他のメンバーの手前笑っていなければならない表情、つまり、顔の上下で感情が正反対の表情だ。  俺と山下が火花を散らしている間、向こうのリーダーでもある笠木妙子さんが何やら演説をしていたが、俺はまるで聞いちゃいなかった。というより、誰も聞いていなかったように思う。鵜殿さんが言うには、彼女の話は毎年同じで、要はフィーエルヤッペンの発展の為に頑張りましょう、大阪大会に向けて切磋琢磨しましょう、ということだった。  「大阪大会?」  大阪に協会があるのは知ってはいたが、ひょっとして全国規模なのか、このフィーエルヤッペン大会は。  「ああ、毎年協会がある大阪で開かれているんですよ。一応全国大会と銘打ってはいるんですが、大阪の人たちと僕たちだけですけど。で、その大会に出場するひと組をこの中から決めるんです」  本当のところ、全国大会出場者総数は十人ほどなので、予選なんかせずにみんなで来てもらいたい、なんだったら美味しいたこ焼き屋にも案内する、というのが大阪側の意向なのだそうだが、なぜか予選をやっている、ということだった。  「そして大阪大会の優勝者はオランダで開かれる世界大会に進めるんですよ」  「それは凄いですね」  本当に凄い。かのオランダ国には美しい風車の周りを優雅なチューリップ畑が広がっていると聞く。俺の頭の中にお花畑が広がった。にしても、その金はどこから出るんだろう。フィーエルヤッペン協会では天下り先にもならんだろう。  もし俺がオランダ国に行けたら、そうだ、犬っころから祐子を取り戻せるかもしれない。いつだったか祐子がテレビを見ながら、行きたいと言っていたオランダのキューケンホフ公園を二人で歩き、これまたいつだったか同級生のタカシが最高だったと言っていたワーテルロー広場を二人で散歩するのだ。俺たち夫婦がそうやって愛を育んでいる間、犬っころは祐子の母親が作ってくれる犬まんまでも食べていればいい。あれはちょっとお目にかかれないくらいまずそうな代物だが、俺から祐子を奪おうとした罰だ。そうして犬まんまと涙と固唾でも呑み込んでいるがいい。  「去年は誰が大阪大会に行ったんですか?」  「僕だよ」  全身にまとわりつく粘着質な声が後ろから飛んで来やがった。山下の声だ。もしこの声で自分のことを「ミー」とでも呼ぼうものなら、俺はたちまち奴の唇を瞬間接着剤で張り付けてしまうだろう。閉じた印としてマジックでバッテンを書いてやる。もちろん油性だ。  「去年は僕が特急フィーエルヤッペン号大阪行きの切符を手に入れたんですよ」  「去年のジャンプは凄かったですもんねえ」  鎌田さんは、俺の心情や奴のセンスのカケラもない例えなどどこ吹く風で、のんびりと受け答えしている。山下と言えば、アメリカの四流ソープオペラでワンシーンだけに登場する、別に出てこなくともストーリーには関係ない脇役のような大きな身振り手振りでジャンプを回想していた。  こいつはいつもそうだ。身振り手振りが大袈裟なのも俺の神経を逆なでするし、その身振り手振りが話の内容とかみ合っていないのはもっと癪に障る。  「山下さんはなかなかの実力者でね、去年の予選でたたき出した十メートル八十四は関東記録なんですよ」  鎌田さんがそう言うと、山下は無い毛をかき上げて鼻の穴をふくらませ、さもありなんという表情で俺を見ている。  何が関東記録だ。去年の参加者は五人で、しかも二人はサポートだろうが。準優勝と同時にブービー賞をもらってしまうような大会での成績なんか自慢するんじゃねえ。  俺は気にしてないという風に山下の方を見たが、やつは依然自慢げに俺を見ている。背は俺より低いくせに、何だこの見下ろしている感じは。俺はにらみ返してやろうと思ったが、場が険悪になると困るのでやめた。  その後、顔合わせが済んだ俺たち七人は、まだ夜も始まっていないというのに、近くの焼き肉屋「やじろべえ」になだれ込み、今日のメインイベントである飲み会になった。 つづく
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