その5

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その5

充分おめかしした私は校舎裏で彼を、大村君を待っていた。  校舎裏なんて今時ダサいよ。私は松田さんに告げたが、彼女は「何事も王道には勝てないから」と言ってこの場所を指定してくれた。  この日の為に私は随分頑張ってきた。美容院に行って髪を整えてもらい、ちょっとしたお化粧の仕方も教わった。そして、ラブレターの書き方、内容の添削も終わらせた。全部松田さんに言われるままだった。松田さんにはいくら感謝しても仕切れない。ここまで段取りを揃えてくれるなんて。  私はどきどきして大村君を待っていた。  王道に沿ってラブレターを机の中にいれ、待ちわびていた。  充分仕上げは整った。でも、気づいてくれなかったらどうしよう。それなら今までの頑張りが無駄になってしまう。どうか、神様、この努力が無駄になりませんように。半ば祈るように待った。  その時だ。  ざっざっざ…  後ろから足音が響いた。そして――  「小山」  彼の声が背後から聞こえた。  その声にハッと我に帰った。願いが通じた。祈りが通じた。  来てくれたんだ!  まだ、告白すらしていないのに、喜びで胸が高鳴った。  「大村く――」  しかし、願いと祈りは最悪の形で現れた。  「え…」  そこには松田さんと腕を組んだ、大村君がいた。  「え、え…」  静寂が広がった。  あまりの展開に思考が追いつかない。突然のことに頭がぐるぐると混乱し始める。  何、何が起こってるの?  どうして松田さんと大村君が腕を組んでるの?  何で、何で……  「ごめんなさいねぇ」  混乱する私に松田さんが口を開いた。  「大村君、とっちゃった♪」  私の頭にその言葉が鈍器となって殴打した。  混乱し、駆け巡った思考が殴打によってその動きを止める。  「なん…で…?」  搾り出すように口から言葉がつむぎだされた。自分の中の何かにひびが入るのを感じた。  それに対し、松田さんはくすりと笑って見せた。  「いやぁ、面白かったよ~。アンタががんばってる姿。一生懸命になってる姿がかわいくってかわいくって仕方が無かった。ぜーんぶ無駄な足掻きだとも知らずに」  「え…」  「……ごめん、小山」  大村君が申し訳なさそうに口を開いた。  その言葉が自分に更に追い討ちをかけた。私の何かに余計にひびが入る。  「でも、良かったじゃない素敵な思い出ができて。こんな告白イベント、アンタには一生かかっても無理なんだから」  ひびが加速していく。  「なん、で…」  「あらやだ、わたしが友達だと思ってたの?」  「え…え…」  ひびが加速していく。瞬時に頭が事態を把握していく。思いたくなかった現実をゆっくりと突きつけ始める。  「あんたみたいな根暗。誰にも相手されないって。ねー、そうだよねー?」  そう、松田さんは上に向かって問いかけた。  私が上を見あげると同時に、上から水が降ってきた。悲鳴を上げる暇も無く、一気にずぶ濡れになった。  水が私の顔を撫でる中、裏庭に位置する教室の窓から私をいつも嘲笑っていた女子グループがバケツを持って見下ろしていた。  「「「ぷっ、あはははははは!!!!」」」  女子の声が群れとなって私に襲い掛かった。大村君は俯いたまま、その様子を申し訳なさそうに見つめていた。  ひびがどんどん加速していく。自分の中の何かが確実に壊れようとしていく。  「……嘘、だったの?」  「あん?」  気づけば私は問いかけていた。今までの熱情が、悲哀と絶望を持って、発せられようとしていた。  「全部、嘘だったの!??」  答えはすでにわかりきっている。それでも、それでも私の心はそう、問わずに入られなかった。だって、あんなに優しく接してくれたのに、あんなに話を聞いてくれたのに、あんなに、あんなに、あんなにあんなにあんなに!!!!  「嘘だっつってんだろ、ばーか!!」 そう、松田さんは吐き捨てた。その言葉が私の中の決定打となった。ひびが完全に私の中を染め上げた瞬間だった。  「じゃあねー。素敵なショウをありがと♪」  そう言い残すと、松田さんは大村君と腕を組みながらその場を後にした。  それを合図に上の教室にいた仲間達も首を引っ込め、学校の中へと戻っていった。  後に残されたのは私だけ。ずぶ濡れになり、惨めな姿になった私だけ。  私、だけ…  「う、うわああああああ!!!!」  私は泣いた。あまりの仕打ちに。  心が張り裂けそうだった。絶望が一気に心を染め上げ、私の目から言葉では言い表せないほどの苦痛と苦しみを流れさせた。  信じていたものからの裏切りに、私はもう耐え切れそうに無かった。  そして、絶望はこの世全てを否定し始める。もうこんな世界いらない。いや、こんな世界にいたくない。いるだけで存在を否定され、いるだけで嘲笑され、いるだけで罵詈雑言を浴びせられ、いるだけでいろいろな嫌がらせを受け、辱められて、いるだけで、いるだけで、いるだけで!!こんな、こんな、こんなこんなこんな!!!!  逃げたかった。こんな世界から。こんな思いをするくらいなら、私は……  私は生まれて初めて逃げることを選択した。 *  悪夢を見ていた。  今まで以上にとんでもない、苦痛と絶望に彩られた悪夢だった。  俺は誰もいなくなった教室に一人座っていた。もうとっくにチャイムは鳴り終わり、部活動も終わりを迎えようとしていた。  教室はほぼ闇だけになり、自分を飲み込んでいた。  『……』  夢の中だと言うのに、信じられないくらい鮮明で、本当に体験しているかのように感じられた。いや、今まで感じてはいたが、今までとは比べ物にならないくらいの臨場感だった。  心に感情が流れこんでいく。圧倒的なまでの絶望感。圧倒的なまでの悲嘆。圧倒的なまでの怨みつらみ…人の、他人の心なのに、なんでこんなに感じてしまうのだろう。まるで、自分がこの人物に乗り移ったかのような感覚だった。  俺は、いや、この身体の主はゆっくりと机の引き出しからカッターナイフを取り出した。  それと同時に、この身体は記憶を次々と蘇らせていく。今まで体験してきたこと、感じたこと、全てを。その中に自分に、この身体に優しく接してきた人物の顔が浮かび上がる。優しい顔、心配する顔、そして――嘲る顔。あの勝ち誇ったような、人を見下したかのようなあの顔が……  その優しく接した顔に自分は固まった。その顔に見覚えがあったからだ。その顔を自分は良く知っていたからだ。  この顔は、間違いない。この顔は――  身体の主は涙を滝のように流す。そして、きりきりとカッターナイフの刃先を伸ばし、首筋に当てた。何をするかは明白だった。  やめろ、やめるんだ。  俺の意識はそう訴えかける。しかし、身体は言うことを聞かなかった。  やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ!!  身体は嗚咽を何度ももらしながらぴたりと助走をつけて――  ――やめろぉぉぉ!!!!  一気に刃が首筋を走った。  自分の人生至上、もっとも強烈で、経験したことのない痛みが俺の体を駆け巡った。  その痛みに、俺は絶叫した。
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