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「おとなはスノウサイダーを何十杯もおかわりするのですか?」
突然、人の声が俺の意識を部屋に連れ戻した。しかもそれは、ここにいるなんて思うはずもない相手だったから余計に驚く。
「うわ!」
なんで吸血鬼が真っ昼間からこんなとこに出現する?! という失礼な言葉はなんとか飲み込んだ。
先月出会った、吸血鬼お嬢様の屋敷にいた庭師兼お世話係。お嬢様に対しても、俺のことに対しても世話を焼いてくれた執事服を着た吸血鬼の庭師。ただ、お嬢様の旦那に対しては少しだけ厳しい。
「下の店主様からお届け物です」
庭師はどかどかと部屋に上がり込むなり、テーブルの上にバスケットを置いた。ガチャンと音がした。
「た、宅配は頼んでいません」
「今日は特に暑いですから」
一旦バスケットを退かして、先に上へかけられていた布をテーブルの上に敷いた。そして、改めてバスケットをテーブルの隅の方へ置いた。今度はガラスが悲鳴をあげることもなかった。
次に庭師がテーブルに並べ始めたのはガラスのコップを三つ。割れてはいなかった。
そして、スノウサイダーがビンで二本と、包装紙に包まれたサンドウィッチが一つ。
「店主様からのお気遣いですよ」
こんがりと表面がトースとされたサンドウィッチ。俺はそれを知っていた。
街に唯一ある図書館、それはそれはもう気持ちよく眠れる絶好の安眠所と言ったら司書に本気で殴られた。そう、その殴ってきた司書の先輩が好きなサンドウィッチ。ん? 違う、違う。その先輩司書さんの助手が好きなサンドウィッチ。それがこの「気まぐれ魔女のサンドウィッチ」。中身はいつも気まぐれで変わるそうだ。
「これって、森にあるパン屋の?」
「おや、ご存知でしたか」
森にあるパン屋を営むのは一人の魔女。
彼女はこの世界ではちょっとした有名人なんだ。パンを焼くコーヒー好きの魔女として、な。
俺はその魔女とサンドウィッチについて知っている。でも実際は会って喋ったことも、その店のパンを食べたこともない。知っているだけのものだった。
興味はあったけど。
庭師はコップの口を下にして並べ終えると、ビンと紙包みだけ持って俺のいる窓の方へ近づいてきた。
なんだ? なんだ? と俺が慌てているうちに、庭師はあっという間にすぐそばだ。
入ってきた時とは打って変わって履いているブーツの靴音も、持っているガラスのビンの甲高い擦れる音も、紙包みの小さな擦れる音さえさせずに近づいてきた。
そういうのはやっぱり、人間技じゃない。
庭師は俺の前に立つとこう言った。
「失礼。イスを出していただいても?」
俺は急いでイスを立てた。焦りすぎて、なぜか自分のイスの正面に立てた。ああ、これじゃあ対面で座ることになるじゃないか。
「あ」
俺は冷や汗をかきながらイスを移動させようとした。させようとしたけれど、それより先に庭師が座ってしまった。
ふわり、っていう言い方がいいと思う。
その庭師は、本当に体重なんか感じさせない動きでイスに座った。
部屋に入ってきた時、庭師はわざと足音を立てて歩いたんだ。
俺は、普段吸血鬼がどんな歩き方をしているのかなんて知らないよ。もしかしたら宙に浮いているのかも。
でも、こんな風にいきなり物音さえしないで近づいてこられたら、誰だって緊張すると思う。いや、緊張じゃなくて身構える。
言っちゃ悪いけど、バケモノの動きだよ。気配も、物音も立てないなんてさ。危険だと感じる。恐怖を、感じる。
自分が狩られるんじゃないかって。
だから庭師はさ。わざと音を立てて歩いたんじゃないか。
別に油断させようとか、そういうのじゃないんだよ。
ほら、店主が言ってただろう? 表の入り口からやって来るやつらは、意外とちゃんとしてる。庭師はちゃんとしてるんだよ。この部屋に入ってくるのに入り口の扉を通ってきた。
普通のことだって? ああ。普通のことさ。普通じゃないやつらは扉なんて使わない。例えば窓からやって来たりするんだろうな。あと、声だってわざわざかけたりしない。
獲物を襲うなら、気づかれずに近づくものだ。
俺は何度も何度も、獲物が狩られる瞬間を見てきた。そいつらはみんな、自分に何が起こったのか解らないまま血を流していった。
それは人が人を狩るときも。獣が人を狩るときも、逆の時だって。それと、もちろんバケモノが誰かを狩るときだって同じだった。
そういう瞬間を見てきたから、俺には解る。庭師は俺を狩ろうとしているんじゃない、って。
庭師は、自分は敵ではないっていう意味を込めて足音を立てたんだ。
それでも俺みたいにどかどか歩くのはやり過ぎだと思う。せっかく庭師はキレイ系な執事なんだからさ。
とにかく。俺は目の前に出されたスノウサイダーのビンを前にして、体の力を抜くことができた。
「おかわりもほどほどにしておきなさい」
足を組みながら無表情に言った庭師に、俺は苦笑いを返した。
イスに座りながらビンを耳の横に持っていく。澄んだ、冬の音が微かに響いていた。
窓の外からは、夏の音がシャンシャン鳴っていたけれど。
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