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10.スピンオフに突入してしまっていたと気づいた件。
さっきも思わず口にしてしまったけれど、俺にとっては鷲見社長の人から好かれるその明るい性格がうらやましくて仕方なかった。
それさえあれば、こんな事態にはきっと陥っていなかったはずだからだ。
なにしろゲーム内での冬也ときたら、一流国立大学の法学部出身らしく各種法令にはくわしくて、判断の基準はいつもそれに反しているかいないかだった。
つまり、果てしなく『正しい』人間だったわけで、遠巻きに見ている分にはおもしろいし、清潔感のある見た目とあいまって本人のキャラクター性には合っていたけれど、それがどれだけ周囲に息苦しさをあたえることかとかんがえてみたら、すぐにわかる……。
たとえるならば、それは苛烈な光。
ひたすらまっすぐに突き進み、遠くからでもその強い光は導きとなって見える一方で、近くから見るものは、その光の強さに目がくらんでしまう。
きっと鷲見社長は、その冬也の強すぎる光に目を灼かれたうちのひとりだったんだろう。
でも、と首をかしげる。
あのBLゲームの世界観なら、冬也のような名前のあるモブ程度の存在に、本編には出てきもしないような鷲見社長のようなキャラクターに二面性を持たせてまで、あんな容赦ない陵辱展開なんてさせるだろうか、と。
ザマァ展開をさせるにしても、そのプライドを叩き折るだけなら、すでに白幡に辞表を叩きつけられたときにさんざんダメ出しをされているし、そこで十分折れまくっている。
なにより冬也は、夏希にたいする『攻め』側のキャラクターであって、『受け』じゃない。
いや、百歩ゆずって、総受け設定の主人公だった夏希の双子の兄なんだから、人によっては冬也だってそちら側のキャラクターだと思う人もいるのかもしれないけれど。
でも、それにしても、あまりにも容赦がなさすぎたように感じる。
それこそ夏希を主人公にしたゲームの本編では、どれだけいろんな相手から襲われかけようと、たいていは紙一重で助かるエピソードが多かった。
今回で言えば、あの電話の着信からの流れのような、そんな救済措置だ。
───そうだ、もしこれが夏希だったなら、まず押し倒されて抵抗をしているところで電話が着信を告げていただろうし、俺のように首を絞められて危うく殺されかかることもなかっただろうし、なにより拘束されたところでいきなり犯されはしないと思う。
まるで救出のタイミングを待つように、弄られるだけで済んでいただろう。
いや、まぁそれも不快感という点ではあまり大きく変わらないし、どうかとは思うけど。
そうでなかったのは、あの白幡ルートのバッドエンド、つまり冬也からの監禁陵辱コースのシナリオに入ったときだけだったように思う。
───そう、それだ!
それと展開も、こちらの抵抗なんて封じられての情け容赦ない犯され方も似ている。
あの前世の俺の先輩の書くシナリオは、ハッピーエンドはどこまでも甘く、いっそ胸焼けを起こしかねないくらいのしあわせな結末を迎えるものだった。
だけどそれが、ひとたびバッドエンドともなれば、とてつもなく暗い、不幸の連続に見舞われることになる。
その描写は過激なもので、これまであの人が手がけてきた作品では、容赦のない凌辱だろうと遠慮なく描かれてきた。
そのエグさには、さすがの俺も引きかけたことを思い出す。
それだ、その展開の仕方に、あまりにも似ているんだ!
と、そこで、ふいになにかが記憶の扉をこじあけてきた。
『あのゲーム、ユーザー人気が高かったから、今度のファンディスクとしてスピンオフ作品を作らせてもらうことになったのよ!』
そう、うれしそうに報告をしてきた先輩の笑顔が脳裏に浮かぶ。
あぁそうだ、その先輩がファンディスクで描くことになるスピンオフ作品のメインシナリオライターをすることになったんだと、自慢げに話していたっけ。
あの先輩が本編のゲームで担当していたのは主に白幡ルートで、つまりは冬也がヤンデレ化するシナリオを書いたのもまた、あの人だったっけ……。
「まさか……」
サァッと血の気が引いていく。
でもここまで一致してしまえば、疑いようもなく、そして納得がいった。
もしこれが───そのファンディスクに収録される予定だった、スピンオフ作品のストーリーとおなじなのだとしたら。
俺をはじめとする、山下や鷲見社長といった存在のことを、世間ではいわゆる『モブ』という。
モブでしかないと思っていたキャラクターが脚光を浴びるこの現象のことを、前世の俺はよく知っていた。
───そう、それこそが『スピンオフ』だ。
つまりこれは、冬也を主役にすえたスピンオフ作品のストーリーに突入しているとかんがえたほうがいいんではないだろうか?
そう気づいたとたん、目の前が真っ暗になるような気がした。
でも、と気を持ち直す。
そんな風にスピンオフの世界に突入してしまっていたなんて、個人的には寝耳に水レベルの話だったけれど、そうかんがえてみたら不思議と腑に落ちることが多々あった。
たとえば山下というキャラクター。
彼は夏希が主役のゲームの本編では、冬也の凋落の理由のひとつのエピソード内で存在を匂わせる程度で、名前すら出てこないキャラクターだった。
それこそ、有能な秘書だった白幡が抜けたあと、ほかの社員ではその穴を埋めることが一切できなかったからこそ、社内はろくに機能せず、あっという間に業績が悪化していったんだ。
そして資金繰りは悪化し、振り出した小切手が落とせずに取引先からの信用を失い、そのまま会社は連鎖するように破産手続きに入るというストーリー展開になっていたと思う。
でも、今の山下はどうだろうか?
少なくとも白幡を夏希の面倒を見させるためにと己の秘書からはずし、やむなくスケジュール管理だけを任せていた当初とはちがい、本格的に秘書として仕事を任せられると思うくらいには、頼りがいのある人材に成長している気がする。
それにだれにも悟らせないようにしていたはずの俺の疲れですら、彼はやすやすと見抜いてきたあげく、こちらの健康状態を気づかう言動からは、本心からの心配の色が透けて見えていた。
そのやさしさは、容易に人を信用できない今の俺にとっては、まぎれもない救いになっていた。
それになにより、この目の前の鷲見社長。
彼にいたっては、ゲーム本編には姿かたちはおろか、名前すら出てこないキャラクターだったのに……。
でも、俺との因縁をかんがえれば、浅からぬ縁があるとも言えるわけで。
その鷲見社長は、今の我が社にとって唯一の小切手の振り出しでの不渡りを出した会社であるにもかかわらず、おそらくそこについてうちの会社を責めることはしてこないはずだ。
少なくとも今の鷲見社長の姿を見れば、どうにかしてくれそうなのは、ある程度期待してもいいような気配がある。
むしろ猶予してくれないなら、俺はただのヤられ損だ。
せめてそれくらいは、ワガママを言っても聞いてもらえるんじゃないだろうか?
だから、この時点でわかりやすい脅威はなくなったとみなすこともできなくはないけれど、あの先輩のシナリオなら油断は禁物だ。
まだこの先、俺に襲いかかる不幸の波はそんなもんじゃ済まされないと思うと覚悟を決めておかないといけないだろう。
なら、今の俺にできることはなんだ?
それこそ山下にしても鷲見社長にしても、ふたりともが冬也が主役になるのなら、周囲の攻略キャラとして配置されてもおかしくはないわけだ。
だとしたらいったい、ほかにだれがその対象にされているんだろうか?
それがわからなければ、これから先も俺は常に男に押し倒される危険と隣り合わせで生きていかなければならないってことになる。
なんてことだ、それこそ冗談じゃない!
どうして俺が冬也として、そんな危険な世界で生きていかなきゃなんないんだよ?!
いくらスタッフとして関わっていたゲームの延長線上にある話とはいえ、ファンディスク自体は未見なんだぞ?!
やはり結局のところ、そこに帰結してしまう。
突然にこんな世界のキャラクターとして生きることになってしまった我が身の不幸を呪うくらいしか、今の俺にできることはなかったのである。
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