12.冬也の非常識さがあらわになった件。

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12.冬也の非常識さがあらわになった件。

「おどろいたな……というか、うん、あらためて君の底が見えなくなったというか……」 「……はっきり『あきれた』とおっしゃっていただいて結構ですよ」  ためらいがちに目線をさまよわせる鷲見(わしみ)社長に、ため息をつきながらこたえる。 「いや、今の短時間でここまで読み込んで資料を作ってもらえるなんて、思ってもいなかったってのは本当のことだよ?」  そう言う鷲見社長の手もとには、今しがた俺が差し出したばかりのタブレット端末があった。 「───ただ、その……君の気持ちが落ちついて帰宅できるようになるための時間だと思って小一時間ほど席をはずしたあいだに、まさか最初に投げかけていた仕事をするなんて思わなかったというか」  深々とため息をつくその姿は、やっぱり全身からなんとも言えないあきれの気配が伝わってくる。 「すみません、せっかくのお気づかいですが、これがいちばん気持ちが落ちつくことでしたので……」  それもそのはず、あまりにもひどい顔色をしていた俺を気づかって、なにもしない時間をあたえたつもりだったはずが、まさかの仕事の成果を差し出されるなんて思ってもみなかったんだろう。  罪悪感から席をはずした鷲見社長としては、てっきり社長室から俺が顔を出したとき、帰宅のあいさつでもするのかと思ったらしい。  なのに俺からの第一声が『先ほどの課題についてなんですが……』ときた日には、そりゃおどろかれるのも無理はなかった。 「ふだんは非開示のはずの内部資料を提示していただいた以上、こちらの誠意として、御社の社員になったつもりで改善策をいくつかご提案させていただければと思います」  そうして画面をあやつりながらプレゼンをするうちに、ますますいつもの仕事の感覚になっていく。  コンサルも、ふだんから自社のグループ会社のテコ入れでやっていることだし、これこそが俺にとっての日常で、ようやくそれがかえってきたような、そんなふしぎな感慨深さがあった。  最初はあきれたような顔をしていた鷲見社長も、次第に経営者として真剣な顔つきになっていった。 「───いやはや、多少はかんがえたことはあったけれど、私では実行に移そうとは思わなかっただろうな。たしかに君の言うとおり、これはリスクもそれなりにあるし……」  タブレット端末を手にしたまま、鷲見社長がうなる。  俺の示した策は、一応いくつかあった。 「えぇ、なので万が一にそなえて、多少なりともリスクヘッジの策として、別の保険をかけています。まぁ、こちらはあまりその保険を厚くすると、本体の策の効果も薄れてしまうので、本当に気持ち程度ではありますが……」  そのなかでも、ハマったときにいちばん効果が高い策は、やはりリスクも大きかった。  そりゃ堅実派の鷲見社長なら、自分で思いついたところで、なかなか実行には移さないだろうし、過去の失敗したときのトラウマからもためらってしまうだろう。  でもたぶん、相手にとって聞きたかったのはこういうことなんじゃないかと思ったんだ。  鷲見社長と、俺とのちがい。  どちらも条件はそう大きく変わらなかったはずなのに、なぜか出す結果にちがいが生じる、その理由。  ある意味で、社長としての鷹矢凪(たかやなぎ)冬也(とうや)は、今回の俺が提示したようなリスクの高い策を取りつづけ、企業規模を急速に拡大させていったわけだ。  周囲からすれば『奇策を講じて、それを次々と成功させていった』だけにしか見えないけれど、それをかんがえたほうとしては、実は成功するかは半々くらいのものも多かったってことを知ってほしかった。 「これまでの君は、ずっとこういう策を取りつづけてきたってことか……」 「えぇ、今思うと、ずいぶん強気だったなと思いますよ」  それに気づいたらしい鷲見社長が、あごに手を当てたままつぶやくのに、同意を示す。 「あのころの私は、もしこれで失敗しても、また手駒をあつめてやりなおせると、高をくくっていました。でもこれに巻き込まれる社員たちからすれば、そんな簡単にやりなおしなんて利かないことなのに……」  自嘲気味に、そう口にする。 「それでも君は、そんなリスキーな策でも成功させてきたってことは、それなりに目算があったからだろ?」 「当然です!そのときは、どうすればいいのか成功へのルートがハッキリとこの目に見えていたので、あとはそれをたどるだけでしたから」  気づかわしげな鷲見社長からの問いかけには、自信をもってこたえられる。  あのころは、今言ったとおりの道すじが自分の目には見えていたからこそ、それを信じて向かっていけたんだ。  でもそんな俺の態度は、またもや彼の地雷を踏んでしまったのかもしれなかった。 「へぇ、()()()()()()()()()()()、か……なかなか私にはわからない感覚だな……」  ワントーン下がったその声色は、かすかに危険な香りを放っていた。  彼我の差をありありと見せつけられ、それにおなじ社長としての自尊心をくすぐられているようなそれは、俺が襲われる前に感じた気配と似ている。  ドクン……  とっさに恐怖がよみがえり、からだが強ばりそうになる。  口のなかは一気に渇いていき、緊張のあまりにふるえが走りそうだった。  でも。 「『わからない感覚』なら、わかるようになればいいんです」  必死に声を絞り出す。  その声は必死にふるえないようにと気をつけたつもりだったけど、はたして本当に大丈夫だっただろうか? 「簡単に言ってくれるが、私は君とはちがうんだ……」 「いいえ、ちがいません。あなたも、私とおなじ『()()』という立場です。だからあなたにも、この感覚を身につけていただきます」  それがこの1時間、会社経営の改善策とともに、バッドエンドルートをさけようと必死にかんがえ出した策だった。 「『身につけていただきます』って君ね、そう簡単にできるわけ……」 「ない、とは言わせませんよ、鷲見社長」  ジッと相手の目を見て言い切る。 「はじめに、私にたいして『興味がある』とおっしゃっていたじゃないですか」 「っ、おぼえていたのかい?」 「そりゃ、いきなり『うちの社員として働いてほしい』なんて言われて、理由をたずねてかえされたこたえですし」  よし、グラついているな、もう一押しだ。 「ならば、その興味の対象の目に映るもの、それがどう見えているのか理解できるようになれば、手っとり早く相手の内情を知ることができるでしょう?」  実際、鷲見社長とのバッドエンドルートになるとしたら、このまま俺が無自覚な傲慢さで相手を傷つけ、そのコンプレックスを刺激しつづけてしまうことだと思う。  劣等感を煽られつづけたら、どんな温厚な人間でも、そのうち壊れてしまうはずだ。  それを回避するなら、そもそもの劣等感のもとを解消してしまえばいい。  俺にとっての鷲見社長は、決してライバルなんかじゃない。  それは話にもならない相手とか、そういうネガティブな意味ではなく、大事な取引先の社長だからだ。  これが完全な同業者なら敵視していたかもしれないけれど、そういう意味ではむしろうちの会社にすれば、なくてはならない技術力を持った相手で、その会社が繁栄し、安定経営となるならそれに越したことはないわけで。 「───あぁ、やっぱり君は私の想像を軽く飛び越えてくる人だ……まったく敵う気がしないよ」  まぶしげに目を細める鷲見社長は、あいかわらずのコンプレックスをこじらせた気配がしなくもない。  ダメだ、やっぱり俺じゃ、人の気持ちに寄り添うことができない人間だってことなんだろうか……。  俺はただ、鷹矢凪冬也という呪縛から、鷲見社長を解放したいだけなのに。 「おやさしいことだな、鷹矢凪社長は!私では仕事の秘訣を教えたところで、ライバルにもならないということか?」  皮肉たっぷりに口もとをゆがめる相手に、伝わらないもどかしさがつのる。  本来ならおおらかで、人好きのする鷲見社長が見せた劣等感は、きっと俺のなかにもあるものだ。  これまでの冬也には厳しい両親からの『常にいちばんであれ』という呪いのような刷り込み教育で、そんな感情を持つこと自体を禁じられていたから、気づけなかったことだったけど。 「本当に……あなたは私のことを買いかぶりすぎです。私はただ、あなたにはライバルでいるより味方でいてほしいだけなのに……」 「え……?」  気がつけば、そんなセリフがするりと口からもれていた。  あのとき、たしかに感じた鷲見社長への共感。  それはきっとこれまでずっと孤独だった俺にとって、はじめて『自分と似ているところがある』、『己に近いかもしれない』と思った相手に浮かんだ感情だった。
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