2.いつの間にか仮面がはずれていた件。

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2.いつの間にか仮面がはずれていた件。

「社長、あまり無理をなさらないでください」 「なにがだ、山下?」  山下というのは、己のスケジュール管理を任せている青年だ。 「鷲見(わしみ)社長の件です。よりによってこの忙しいときに、なぜ社長であるあなたが、わざわざ自社と取引先の会社とのダブルワークをしなくてはいけないのでしょうか?」  その声には、隠しきれないイラだちがにじんでいる。  今も自社での仕事を終えた俺は、山下の運転する車で自宅ではなく、イーグルスター社へと向かっていた。  はじめて彼の運転する車に乗ったときは、その荒っぽい運転にかなりヒヤヒヤしたものだったけど、秘書もどきの仕事を任せていたこの1ヶ月のあいだに、彼はずいぶんと運転がうまくなった。  この調子なら、臨時の秘書代理として任せていただけのスケジュール管理も、本格的に秘書としてやってもらったほうがいいのかもしれないな……。  そんなことを思いつつ、俺は口を開く。 「そう言うな、山下。我が社にとってもイーグルスター社はなくてはならない取引先、その大事な相手との取引で不渡りを出したとあっては、大問題だろう?」  それを不問にしてもらい、さらには支払い猶予もしてもらっている以上、その恩に報いるのは当然のことと言える。 「それはたしかにそうなのですが……しかし社長はこの数日、ろくに睡眠時間も取ってらっしゃらないというのに……」  深いため息とともに、山下がなげいた。  たしかに彼の言うとおり、この数日はとてもじゃないけど眠れる状況なんかじゃなかったのは事実だ。 「………うまく隠していたつもりだったのに、ひょっとして疲れが顔に出てしまっていたか?」  でも己の言葉どおり、うまくつくろえていたと思ったのに、残念なことに悟られてしまっていたらしい。  俺としたことが、油断をしていたのだろうか?  実際、ここ数日は夜中に山下に自宅まで送り届けられたあとも、そっと持ち帰った仕事を、ほぼ寝ずにこなしていた。  それは本来であれば秘書に丸投げしても問題ないような自分でやるまでもない書類作成だとか、そういった事務作業がメインではあったけれど、特にその話を山下にしたおぼえはなかった。  そんな仕事を任せるべきだった本来の俺の秘書は、白幡(しらはた)月兎(つきと)という年上の青年だった。  それこそ幼いころからずっと、俺を支えてきてくれた人物で、この会社が成功したのも彼の献身があればこそという面も否めない。  それくらい、俺にとっては大切な人間───のハズだった。  けれど俺が幼いころから父親によってくりかえし教育されてきたのは、大企業の後継者としての心がまえで、『上に立つものは、決して下のものに弱みを見せてはならない』と刷り込まれてきた。  その言葉は呪いのように幼い俺を縛り、甘えることも、そしてその献身に感謝を述べることさえもできなかったんだ。  どちらかと言えば白幡は、人の面倒を見たいほうの世話焼きな人種だったから。  まったく手のかからない俺との仕事には、やりがいを見出だせなかったのかもしれないし、なにより庇護欲をかきたてるタイプの深山(みやま)夏希(なつき)───俺の双子の弟のほうにこそ尽くしたいとなったのは当然だったのかもしれない。  だから結局のところ、俺はただ白幡に愛想を尽かされたのだろう。  我が家で保護したあとの夏希の世話を丸投げしていた白幡が、会社に辞表を叩きつけ、その夏希とともに手を取り合って出ていってしまったのは、つい先日のことだった。  半ば三行半(みくだりはん)を叩きつけるがごときそれは、夏希が主人公のBLゲームの、メインルートとも言える白幡ルートにおける、クライマックスのイベントのひとつだった。  それまで当て馬系の冷酷な双子の兄であるこの俺、冬也へのザマァ要素を多分にふくんだそれは、ユーザーに人気のあるエピソードのひとつではあった。  そのシナリオを書き上げた『()』の先輩も、その人気によろこんでいたっけ。  俺も開発にたずさわったスタッフのひとりとして、そのゲームの人気はよろこばしいものであったし、なによりいちばん嫌いなキャラクターであった冬也が落ちぶれていくそのエピソードは、スカッとするものであった。  ───そう、つまりここにいる俺は、そのゲームのなかの登場人物であった鷹矢凪(たかやなぎ)冬也(とうや)であり、そしておそらく前世ではそのゲームを開発したスタッフのひとりだったというわけだ。  しかし、なんの因果か、いちばん嫌いだったキャラクターになるとか、もはや悪夢でしかない。  これが夢なら醒めてくれと、何度願ったことだろうか。  だけど悲しいかな、ここは今の俺にとっての現実でしかなかった。  その白幡に去られる瞬間に自我を取りもどした俺は、そこから先、凋落(ちょうらく)の一途をたどろうとする冬也の運命に逆らうべく、こうして体験したこともないような苦難の道を進みはじめたのであった。  それにしても、こうしてゲームのなかのキャラクターとして生きてみると、存外大変なものだ。  ゲームのなかでは単なるユーザーのための『ザマァ』要素でしかなかった冬也の凋落は、自身が社長を務める会社の社員やその家族の命運すらにぎる大問題であったし、なにより自分にとっても一大事であった。  冬也の態度を誤解したせいで去ってしまった白幡は、ろくな引き継ぎもなく会社も辞めてしまったから、おかげで社内はいまだにうまくまわっていなかった。  こうして当事者になってみると、その行為はいかに社会人として無責任なものだったのかを思い知らされる。  己が愛する主人公のためにと、それまで忠誠を誓っていた家に、そしてその当主に反旗をひるがえすまではよかったものの、その際に引き継ぎもせずに会社を辞めてしまうことは、決して社会人として誉められた行為ではなかったことを、前世の俺は理解していなかった。  じゃなきゃ今、こんなに苦しい思いをするなんて想像もしてなかったんだから。  そうして白幡が責任を放棄した結果で起きた混乱をおさめるため、その彼が抜けた原因を作ったのは自分だからと、俺には休んでいるヒマなんてないと思って働いている。  幸いにして、元々の冬也のタフな精神力と、これまでのバランスの取れた食事で培われた体力のおかげで、それなりに乗りきっているつもりだったけど。 「いえ、見た目には以前とお変わりないです。あいかわらず社長はお美しいままです」 「そうか……」  若干山下の言葉のチョイスがおかしな気はするけれど、そこはゲームの世界だからと割りきり、賛美の言葉を鷹揚に受けとめて深くため息をつく。 「ならば俺は、お前に心をゆるしているのかもしれないな……」 「え?」  後部座席に深くもたれかかったまま、そっとつぶやけば、運転席からは小さな疑問の声があがる。 「たしかに疲れてはいる。だが周囲に悟らせない程度には、隠せていたと思っていたのだがな」 「…………そこは隠すよりも、できれば休息をお取りいただきたいところです」  俺に負けないくらいの、深いため息をついた山下が言う。 「そうは言うが、今が踏ん張りどころだろう?」  ここがゲームの世界でも、そこに生きるキャラクターとなった今は、単なるザマァで済ませてはいけない状況だ。  会社の存続にかかわる危機に瀕したなら、社長という存在は、すべてを投げうち、尽くすつもりで臨むのが務めだ。  それになにより、上に立つものの士気は、下のものにも伝播する。  こちらが弱気でいたら、きっと社員たちは不安になってしまう。  だからこそ俺は、苦しみもツラさも飲み込み、あえて白幡や夏希から誤解を受ける原因となった、感情の読めない仮面をかぶりつづけることに決めたんだ。 「だからそう───もし俺が疲れているように見えたのならば、それは山下の前では、かぶっているはずの仮面がゆるんで下の素顔が見えてしまっているということなんだろうな……」  せめて社員や取引先に不安をあたえないようにと必死に取りつくろったその外面は、お得意のポーカーフェイスのおかげで、だれにも気づかれていなかったのに。 「っ、社長……っ!」 「いつもすまない、その……こんなことに巻き込んでしまって………今俺ががんばれているのも、きっと山下のおかげだ……」  気がつけば、本心からの感謝の言葉が口からこぼれていた。 「────もったいないお言葉、ありがとうございます……不肖山下、全身全霊をもって社長のために尽くさせていただきます!」  感極まったような山下の声を聞きながら、これまでこんな簡単な言葉ひとつかけられなかった冬也というキャラクターの不器用さに、あきれるしかなかった。 「……少し、休んでもいいか?」 「えぇ、もちろん。今日は道路が至るところで渋滞しているようですし、イーグルスター社に到着するには、もう少しお時間がかかるかと思います」  カーナビを見ながらこたえる山下に、そっと口もとに笑みを浮かべて目を閉じる。 「わかった、到着する前には起こしてくれ」 「承知いたしました」  そのまま力を抜けば、ふぅっと意識はやわらかな闇へと沈んでいく。  どうやら俺は、思っていた以上に疲れているのかもしれなかった。
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