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目を覚ますと、そこは座席車の中だった。
古めかしい車内には、対面式の座席と金網の荷物置き以外は何もない。
ふと、車窓を覗くと、そこには、どこまでも続く水面と、満天の星と月があった。
いや、むしろそれ以外には何もないと言った方がいいかもしれない。
頑張って車体の下を見ると、どうやら石橋の上に線路が敷かれているらしい。
幻想的な光景を前に、外を眺めたまま硬直していると、不意に、男の声がした。
「おや、お客さんですか。珍しいですねえ。」
目を丸くして声のした方向を見やると、車掌と思しき格好の、痩せた中背の男がいた。
「なにやら状況が飲み込めていない様子ですが...大方、気が付いたらここに居た、と言ったところでしょう。」
言い当てられて、またもや目を丸くしていると、車掌は再び口を開いた。
「まあ、この列車自体、良くわからないものですからねぇ。....時にお嬢さん。あなたの名前は?」
人に聞く前に、まずは自分から名乗って欲しい所だが、そんなことを言っていても始まらない。問いかけに答えてやろうと思ったが、なぜだか言葉が出てこない。
「..どうしました?」
名前が、思い出せない。
「..まさか、名前が思い出せないんですか?」
無言で俯いていると、彼も察したようで別の質問に移行する。
だが、その全てが、頭から抜け落ちたが如く思い出せないのだ。
「....はぁ...まあ、正直、ここでは素性なんて意味はありませんけどね...。」
心地のいい列車の振動と、蒸気機関の駆動音が鳴り響く車内に、重苦しい沈黙が満ちた。
「.....」
十数秒の沈黙の末、車掌が口を開いた。
「あぁ、この列車のことを説明しましょうか。ここがどこかわからないと、不安でしょうから。」
「この列車は、蒸気機関車...いわゆる「SL」というやつです。とはいっても、実際は見てくれだけで、煙も、どこから出てるのかわかったもんじゃないんですけどね。なんで、ほんとはディーゼルだったりするかもですけど。」
軽い調子で語っているが、そんな訳の分からない説明を聞かされても、むしろ不安が増すだけだ。
そう思い、今もなお得意げに列車のことを解説している車掌を尻目に、彼女は車内を冒険に出ることにした。
——————————————————————
とりあえず後方に向かって歩いていたが、10両程度進むと最後尾が見えてきた。
最後の扉を開き外に出ると、満天の星が広がっていた。
素晴らしい景色に、しばらく見とれていると、ふと、視界の端の星が動いた。
そしてそれに呼応するように、いくつもの星が、夜空を疾走する。
しばらくそれを見ていたが、なんだか様子がおかしくなってきた。
空を駆けていた綺羅星が、こちらに迫ってくるではないか!
迫りくる煌めきを前に、少女は何もできない。
と、何者かが彼女の襟首を捕まえ、車内に引きずり込んだ。
驚きのあまり声も出なかったが、その腕の主が車掌だと気づくと、少女は安堵の表情を浮かべた。
「今日は星の降る夜と言ってですね、外に出ると危ないですよ。」
そうこちらに忠告すると、彼は星図と懐中時計が同じになったような機械を取り出し、星空と見比べる。
「ああ、今日はレオが墜ちましたか。」
そういって彼は前方車両に戻ろうとするが、
少女は、最後尾のバルコニーに墜ちた輝きを見逃さなかった。
車掌の袖を引っ張り、バルコニーを指さす。
そうして回収されたのは、可愛らしい赤ん坊だった。
——————————————————————
赤ん坊は、墜ちた星の一つから取って「デネボラ」と名付けられた。
この不思議な幼児は、どうやら星の光で育つらしく、34時間後には、既に少女と同じくらいにまで育っていた。
「はぁ..やっぱりここは不思議な場所ですねえ。空から赤ん坊が振ってくるなんて予想外ですよ。」
車掌の言葉に、少女もコクリと頷く。
「それにしても、まさかここまで育つのが早いとは..いや、まあ正直予想はしていましたが...それにしたって早すぎますね..。」
そう呟く車掌の下に、10歳ほどにまで育ったデネボラが姿を見せる。
「へー。それじゃ、私は特別なんだ。なんか嬉しいな。」
満月のような笑みを浮かべて狭い車内を走り回る。
ふと、デネボラが何かを思いつく。
「あ、そういえば、君の名前は?」
今まで気にしていなかったことを、デネボラは訊ねる。
問いかけられた少女は、俯き加減で首を横に振る。
「そっかぁ..じゃあ、みんなで名前を決めようよ!」
こうして、少女の名前を決める会議が開催された。
「はい!私は、ラテがいいと思います!」
「ええ..これ、私も言わないと駄目ですか?」
「ダメ!ちゃんと考えて!」
心底面倒くさそうに問いかける車掌に、デネボラが抗議する
「じゃあ..シリウスとか?」
宇宙で二番目に明るい恒星の名をあげる車掌だが、これにデネボラが苦言を呈す
「えー。なんか可愛くないなぁ。」
「なんですかそれ..。」
理不尽な意見をぶつけられ、すっかり意気消沈した車掌の下に、少女が這いよる。
「どうしました?..ん?これが見たいんですか?」
少女が手に取ったのは、昨夜見た奇妙な機械だ。
それに描かれた一つの星を指さし、少女は目を輝かせる。
「これは..スピカですね。昨日墜ちた星の一つです。これがいいんですか?」
少女が頷くと、デネボラもそれに便乗する。
「おー!スピカ、なんか可愛い。」
いつの間にかまた少し成長しているデネボラが、スピカ、スピカと連呼する。
それを聞いた少女..もといスピカもまた、嬉しそうに跳ね回っている。
そんな光景を見守りながら、車掌は星を見上げていた。
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