「フランケンシュタイン」

1/4
前へ
/188ページ
次へ

「フランケンシュタイン」

作 マリー・ウォルストンクラフト・シェリー 訳 宍戸儀一 (1953年版) まるで悲劇でできたメビウスの輪を見ているようだ。 表だったり裏だったりしながら、悲劇が巡っている。 決着のない。到達点のない悲劇。 悪者探しをすると、メビウスの輪の中に取り込まれる困惑。 最後は咽び泣きたくなるような、虚しさが残った。 。。。。。。。。 フランケンシュタインといえば、お馴染みのスタイル――、大男、縫い目、唸る声、知能が低い、ゾンビのような歩き方、‥…などを思い浮かべると思う。 しかし実際の怪物は、身長こそ2メートル40センチほどの大男だが、その容姿に関しては、こんな形容しか記されていない。 「黄色い皮膚は、下の筋肉や動脈の働きを紙一重でおおっていたし、髪の毛は艶やかに黒くてふさふさしており、歯は真珠色がかった白であったが、こういうものが立派なだけに、褐色を帯びた白い眼窩とほとんど同じように見えるどんよりした眼や、しなびれた肌や、一文字に結んだどす黒い唇とが、恐ろしい対照をなしていた」 ちなみに、フランケンシュタインとは、この怪物を造った当時大学生の科学者の名前で、怪物には名前がない。 フランケンシュタインは、約2年の歳月をかけて、この怪物を造りあげてきた。にもかかわらず、命が宿った直後、見るに耐えられないおぞましい姿と形容している。 死人の時は美しかったはずなのに、目を開けただけで、そこまで変貌するものか? この怪物はその後、あらゆる場面で迫害を受けることになる。 女性はその姿を見ただけで、気を失い精神を病み、男性は怒り狂い、銃を手にしてすぐさま殺そうとする。 いったいどのくらい恐ろしく醜いというのか? しかもこの怪物は、万能な身体を持ち、知能は素晴らしく高い。 人間の会話や文字を独学で習得し、どんな環境下でも生きていける体力や耐性を備えていた。 フランケンシュタインに再開した時、この怪物は、自分に降りかかった不幸を理路整然と説明し聞かせる話術もあり、普通の人間よりもよほど優れた能力を持っている。 それなのに、フランケンシュタインは怪物に関して、こう形容している。 「私は同情を催し、慰めてやりたくさえなったが、相手の姿を眺め、動いて話している汚らしい塊を見ると、胸くそが悪くなって、気持ちが恐怖と憎悪の感情に変わってしまった」 これほどの酷い扱いがあるだろうか? どれほどの能力を身につけていても、見た目が醜悪というだけで、何をしても無駄だというわけだ。 フランケンシュタインという作品を通じて、いかに見た目が人生を左右するかということを痛切に感じた。
/188ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加