アリサの告白

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アリサの告白

「ねぇ、結婚しようよ」 アリサはそう言った。 僕たちが出会ってから、ちょうど2か月が経っていた。 アリサがどんな女性なのか説明する前に、僕の話をしよう。 僕は銭湯と昆虫をこよなく愛するちょっと癖はあるけれど、平凡な類の男だ。 ある日、僕はいつものように仕事をし、いつもの銭湯に行き、いつもと同じ歌を鼻歌まじりに奏でながらお湯につかっていた。 が、あるハプニングがあり、僕はあっさりのぼせてしまい、ぶっ倒れた。 その時、女湯の客として居合わせ、看護師という職業柄、僕を放っておけず介抱してくれたのが、アリサという女性だった。 吐き気とめまいに襲われていた僕は、ポカリスエットやら冷たいタオルやらを差し出されるままに受け取り、簡単すぎるお礼を口にする程度で、よろよろと家に帰った。 倒れこむように眠り、夜中に目が覚めた時、彼女の名前はおろか、連絡先さえ聞いておらず。それどころか、差し出されたポカリスエットのお金も払っていない始末に気づいた。 翌日、銭湯に行き昨日の失態を謝罪し、同時に、彼女の名前を尋ねたが、店は知らないという。 つまりは、もう一度彼女に出会うことを期待するしかない。 僕は銭湯に毎日通い続け(もともと週に3回は通っていたけれど…、)彼女との再会を待ち望んだ。 そして、その日は不意に訪れた。 彼女を待つようになって、2週間ほどが過ぎた金曜日のことだった。 彼女はちょうど受付でお金を払っている最中で、僕はというとちょうど風呂からあがり、受付の前を通り、帰るところだった。 「あら」と彼女は言った。 「あ、」と僕は言った。 二人の「あ」が重なった時、お互いだけが知っている、いわくつきの昆虫を見つけた時のような親しみを、僕は感じた。 「あの時は、お世話になりました」 会釈をしながら言うと、彼女は「あれから大丈夫でしたか」とちょっと大人っぽい顔つきで返してきた。 「はい」と僕。「それはよかった」と彼女。 もうこれで用事は済んだな、と一息入れた僕の頭に、見えない誰かがチョップする。 「あっ! そうだ! ポカリスエットの代金、払います!」 そうだ、これ、ちゃんと言わないと! 僕がポケットに手を突っ込みながら言うと、彼女は手を振って「あ、いいです」と言う。 「そういうわけにはいきません」 言いながら僕は150円を手のひらに乗せて彼女に渡した。 「あ、じゃあ…」 と言って、彼女は受け取り「お大事に」と、一言。横向き姿で会釈すると、女湯の暖簾の中へと消えた。 僕は大きな一仕事を終えた気持ちになって、肩で息をついた。そして何気なく自販機の前を通り過ぎて、固まった。 ポカリスエットは、160円だった。 『どうしよう10円!』問題が、僕の中で勃発した。
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