0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「まて! この!」
だが力じゃ、ぜんぜん敵わない。
あっというまに床に押し倒された。
まるでフランケンシュタインの怪物だ。
思えば、こっちは四十のオッサンだ。体力的に相手になるわけがなく、手がつけられない。
「くそ! まて! この野郎!」
「やめて! かれの思うようにさせてあげて!」と、止める妻の声なんか耳に入らない。
事故の後遺症で、おれの生殖機能に問題があり、妻とは本当の意味での子供が生まれなかった。これはつねづね申し訳なく思っていたが屈辱感で、冷静な判断なんかできなかった。
もう、頭に血が上りすぎて、立ち眩みがしそうだったんだ。
気が付くと、台所の出刃包丁を左手で握りしめていた。
「ちくしょう! だったら、右腕をもらうぞ! それを繋いで元の身体に戻ってやる!」
妻は両手を広げて、奴をかばった。
「あなた、なにを言ってるの! あれは、もう一人のあなたなんですよ、それに今さらテニスなんてできるもんですか!」
「おまえこそ、なにを言ってるんだ! あいつは人間ですらないんだ! 右腕なんだぞ!」
「わたしにとって息子も同じよ!」
「うるさい! どけ!」
もう、妻の説教なんてたくさんだった。
「今なら間にあう、絶対に探し出して、主人に逆らうと、どうなるか思い知らせてやる!」
「あなたはなにもわかっちゃいない! 探さないといけないのはあの子じゃないわよ!」
「じゃあ、なんだ!」
「自分よ! あなたは人間として大切なものをなくしてる!」
妻はどかないつもりだ。
「うるさい!」
おれは妻を突きとばして、家の外へ出た。
「くそお! あきらめんぞ! きっとあそこだ!」
おれはバス停を目指して駆けだした。
思った通り、あいつは駅へ行くバスに乗り込むところだ。
「まてえ!」
だが運が悪いことは重なるものだ。
焦って、横断歩道を飛び出したのがいけなかった。
いきなり右側からトラックが走り込んできて……。それからは覚えていない。
最初のコメントを投稿しよう!