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けーちゃんが散歩に出た隙を狙って、指輪を薬指に入れてみた。にやにやしながら、鏡で映したり、写真を撮ってみたりしていると家中の電気が急に輝き始めたので、慌てて指輪を外そうする。けれど、ぴったりすぎて、すぐには外せなかった。
「ん〜、もぉー」
力任せに外そうとすると、
「指を少し曲げた方が外れやすい」
と、適切なアドバイスを受け、その通りにするとスルッと指輪は外れた。
「……けーちゃん、おかえり」
彼は生きていた時と同じく、ふらりと散歩に出かける。日が暮れる時間はゴールデンタイムらしく、まだらな宵を観賞することは、至福のひとときだという。サンセットは惑星間の芸術だ、とも。
数字を追いかける仕事ばかりしていたのに、彼は数字以外の不確定なーーそれも、曖昧で、時間を経る毎に姿を変えてしまうーーものをよく好んでいた。
仕事終わり、彼と一緒にオフィスの森へ沈んでいく夕陽を眺めたことを思い出す。都市で産まれ育った私と違って、地方育ちの彼は、空の表情で、時間を感知することが得意だ。
彼に出会い、私は見えている景色がかけがえのないものであることを知った。
そして、彼の隣がとてつもなく居心地がよく、ぴたりと合うようなひとがこの世に存在する奇跡も。
「ただいま、しろちゃん。指輪、気に入った?」
「……う」
肯定してしまうとプロポーズを受けたことになるのかな、どうなんだろう。もやもやと考える間に、頷いてしまった。
「……良かった、渡せた」
安堵したような息をつき、彼は隣に座った。
「けーちゃんの心残りって何?」
「……しろちゃんと結婚する事だと思った。……けど、」
「けど?」
「そもそもさ、結婚は一緒に居るための約束な訳でしょ? だったら、僕は死んじゃってる時点で、もう該当しないんだよね。いくら近くに居ても、一緒に生きられないんだったら、さっさと消えた方がいいと思うんだけど……、指輪を渡してもまだ消えないなぁ、やっぱりプロポーズかな」
薄らいだ掌に視線を向ける。
実体はないのに、彼は確かに存在している。
「……じゃあ、断り続けたら、成仏できないの?」
「かもね」
抜け目のない元上司は曖昧に笑う。
「……ユーレイでも、死ぬまで傍にいたらいいよ」
「もう、死んでるね」
「あ、そうだね。じゃあ、消える日まで?」
「……その言葉が僕にはプロポーズに聞こえるよ。しろちゃんはモノ好きだなぁ」
「けーちゃんの方が変だよ。ユーレイになっても、まだ結婚したがるなんて」
「うん。しろちゃんともっと一緒に居たいって思ったから」
ごめんね。一生、取り憑かないと成仏できないかも。
と、付け足す。
「……わぉ、呪いみたいなこと言った」
「失礼な〜、これはプロポーズだよ」
「息をするように、結婚を迫るねぇ」
「息はしてないよ〜」
指輪を薬指に入れ、手をかざす。きらりと宝石が光を飛ばし、けーちゃんの体を通り抜ける。光も受け止められないユーレイ。結婚は片方が死んでいたら、口約束みたいなもので、永遠に叶うことはない。
触れることも出来ない、半透明な関係。
けーちゃんの未練が私なら、同じユーレイになるまで、このままかもしれない。
そうなればいいな。なんて、ね。
口に出さず、ただ彼の顔を見た。
童顔で、天然パーマの顔は五歳上なのにかっこいいと言うより可愛らしい。その口から、いつものように言葉が出てくるのを待つ。
「結婚しよっか」
答えは、もちろん決まっている。
ーENDー
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