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刃物
翌朝、圭は隼人と共に家を出、事務所に向かっていた。歩いて二十分の道のり。
「すみません、ちょっとポストに……。先に行っていて下さい」
招待状を思い出し、横道に逸れる。隼人は立ち止っていた。待っているつもりだろう。急がないと。と、小走りの圭の後ろから、鳥打帽を目深に被った少年が走り寄って来た。右手には小刀が光っている。
ほぼ条件反射で避けたものの、体勢
が崩れ、次の攻撃は逃げようがなかった。
顔か……首か……胸か……どこを狙って来るかは分からないが、道に倒れ込みながらも、圭は少年を睨みつけたまま、次の攻撃に備えた。
無言のまま振り翳される小刀が、太陽の日を浴びて光る。
圭は立ち上がるために地面に手をついた……。
「そこまでだ」
脇道から現れた隼人が、少年の手首を戒めた。圭とさほど差がない小柄な少年である。隼人に力で適うはずがなく、小刀は手から零れ落ちた。
「長瀬さん……」
圭はゆっくりと体を起こすと、立ち上がった。寒さと打った衝撃で膝と肘が痛む。
「誰に言われてこんなことをした?」
隼人が静かながらも怒りを殺さぬ声で問う。少年はガタガタと震えながらも、逃げようと足掻き始めた。
「うわぁぁ……」
勢いよく腕を引っ張ったつもりだろうが、隼人は少年を離さなかった。それによって生じたであろう痛みに、少年は悲鳴を上げ、狼狽えた隼人は手を緩めてしまった。強者の弱点である。
少年は必死の形相で、手を振り解き、走ろうとした……。
が、叶わなかった。
少年が逃げようとしているのを察知すると圭は、右足を振り上げて進路妨害をした。
逃げるために走り出した少年は、圭に腹を蹴られて仰向けに倒れ込む。
圭は腹の辺りに馬乗りになると、少年の外套の襟元を両手で掴み上げた。
「長瀬さんと違って私は容赦しませんよ。答えなさい、誰に命令されたの?」
少年は歯を食い縛って、圭を睨みつけている。しかし、どんなに足掻こうとも、次は隼人も油断はすまい。逃げ道はないに等しい。
圭は外套を更に強く掴む。首が絞まったのだろう、ぐぅ。と、喉の鳴る音がした。
「さっさと言いなさい」
珍しく隼人は口を挟まない。理由はともあれ、刃物を振り翳す相手に対して同情するつもりはないのだろう。
外套から手を離すと、鳥打帽を取り去る。お世辞にも美少年とは言えない、一昨日、隼人に迫って来た少年とは違う系統だった。
軽く咳込む少年に、馬乗りになったまま圭は、新城。と言った。
少年が息を呑んだ。
「やはりね」
「ち……違う」
「違いやしないでしょう。こんな状況で、雇い主と違う人間の名前が出て来たなら、してやったりと思うものではありませんか? 否定するのは、当たっているからです。
ここには貴方の指紋がべったりとついた刃物があります。これを私達が警察に持って行ったら、どうなるでしょうね」
行動には問題があるものの、真面目そうな少年は、今にも泣き出しそうになった。
圭は少年の体から離れると、落としていた招待状を拾い上げる。
「貴方の雇い主にこれを届けて下さい。新城夫妻のどちらに渡しても構いません」
倒れたままの少年に投げつける。
「一つだけ忠告しておきます。
人を襲う時には、自分の身元が分かるような恰好をしてはいけません。詰襟を着ていれば一目で学生だとわかります。ましてや、外套の裏に、自分の名前を書くなど以ての外です。
あぁ、もう一つ。素手もよろしくはありません。理由はもう、お分かりですよね?
まぁ、手袋で滑らないかと、不安になる気持ちは分からないでもありませんが。
これからすぐに、その封書を新城夫妻に届けて下さい。わかりましたね、根本君」
冷たい圭の声に、少年は縋るような目を向けて、はい。と答えた。
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