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哀しみ
『貴久子様が亡くなられた』
五月十二日の頁にはただ一行だけ。死亡理由も、誰から聞いたかも書かれてはおらず、ただ、少女の悲しみがその一行に込められていた。
毎日欠かさなかった日記。次の頁は十日以上経っていた。
五月二十三日。
『病気と伺っていたのに厭な噂が流れている。貴久子様は自ら命を絶たれたのだと。そんなはずはない。私との約束を反古にされるはずなどない絶対に』
次はその五日後。
『貴久子様が自ら命を絶たれたのは本当らしい。とあるビルヂングの屋上から飛び降りたのだとか。なにがそんなに貴久子様を苦しめたのか。どうして私に相談下さらなかったのか。悔しくて堪らない。どうして私は気付いて差し上げられなかったのかしら』
少女の悲しみと苦しみはなかなか癒されることはなかったらしい。日記はそれから殆ど天気と日にちだけを表記して終わりになっていた。
そうしてまた、訃報がもたらされる。
『麻上男爵が亡くなられた。男爵は最期にお目にかかった時、和孝を頼むよと仰った。私は、勿論ですお義父様。と申し上げましたら、笑顔を見せて下さった。和孝さんをお支えしなければ。お義母様も』
麻上男爵の葬儀、爵位の継承、屋敷を手放す手続きなど、美沙子は家族として関わったらしい。
『和孝さんは卒業を待つと仰って下さった。でも私は夏休みを機に退学を決意している。妻として和孝さんを支える為に』
美沙子は夏休みに入ると、学校側に説明をしたばかりで、学友には一言も無く退学し、喪中であるから華やかな結婚式も無しで麻上男爵家に嫁いだ。
そうして、女学校時代の日記は終わり、新婚時代に突入する。
引っ越しが終わり、小さな家での生活に慣れた四人は、新しい生活を楽しんでいたらしい。新しく男爵となった和孝はまだ学生であったが、慎ましやかな生活をするには困らない程度の蓄えはあったようだ。
十二月三日に、小さな事件が起こる。礼子から手紙が届いたのだ。
『こちらの住所は教えていないのにどなたから伺ったのかしら。私は礼子様との関わりを断ちたくて黙って女学校を退学したのに』
礼子は美沙子の気持ちに気付いているのかいないのか、三日に一度は手紙を寄越す。美沙子は自分の気持ちを理解して欲しいが為に、月に一度だけ、葉書を送っていた。毎月、貴久子の月命日に、忙しい毎日を送っております。と言う風な内容で、暗にこれ以上手紙を送らないで欲しいと訴えたのだが、礼子からの手紙が減ることはなかった。
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