記憶

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 「美沙子様が四年生の二月に転校生がありました。驚いたことにその方に対して、美沙子様は特別なお気持ちで接せられて、すぐにご親友としてのお付き合いが始まりました。それはもう、女学校中がその方の噂で持ちきりでしたのよ。  私は直後、卒業を致しましたけれど、二つ違いの妹がおりましたので、女学校での出来事は存じております。  お二人は所謂Sとは違いました。他の方ともお友達として仲良くされておいででしたけれど、いつも美沙子様のお隣には、その方が。不本意ながらお隣を譲る形になった礼子様は、心穏やかではなかったようです。  すぐに、その方のご両親のお仕事が高利貸しだとの噂が立ちました。皆が美沙子様を心配して、離れるよう忠告したそうですが、お二人の絆が壊れることはなかったようですわ。  こうして話しますと、美沙子様とその方が二人だけで仲良くされていたように聞こえますでしょうけれど、そうではありませんでした。お昼休みなどはお外に出て、運動をすることが奨励されておりましたから、結構な人数で遊んでおいででした。他の学年の方も混じっていたり。  ただ、お休みの日など、お互いのお家を訪ねていらしたようで、それを羨んでいる方は多うございましたわね」  つまりは、美沙子の隣が礼子から貴久子に代わっただけで、女学校内では大した変化はなかったのだ。  しかし、休日は二人だけで会っていた。美沙子の特別になりたかった人間は、嫉妬したに違いない。だからといって美沙子を責めるのはお門違い。なにより、美沙子に嫌われたくはなかっただろう。  静かに、穏やかに二人の仲を裂く為に、貴久子を貶める(と本人は考えていただろう)為の噂を流す。  しかし噂は決して、二人の少女の友情を引き裂いたりはしなかった。 「礼子夫人はどんな様子だったのだろう」 「美沙子様をご自宅に招待したいと申し込んでも、やんわりと断られて」 「一つ宜しいでしょうか?」 「はい」 「お話しの中でずっと、その方。と仰っておいでですが、お名前をお忘れなのでしょうか?」  逸子は視線を逸らした。 「い……え、その……」  逸子はどうやら、名前を忘れているわけでは無さそうだった。穏やかな、いかにも良家の奥様の逸子ではあるが、ここにきてどうやら、貴久子に対してなにやら蟠りがあるように思われた。 「亡くなった方だからと言うわけではございませんよね? 母のことは名前でお呼びですし。  亡くなり方のせいですか?」  逸子は小さく頷いた。 「申し訳ありません。あの頃はただただ驚きで、その、禁忌を犯したわけですから、口にするのが恐ろしく感ぜられたのですが……母となりました今は、どんな理由があったのかは存じませんが、愛する娘に先立たれたご両親様の気持ちを思いますと、お名を口にすることさえ悲しいのでございますわ」  失言に気付き、圭は立ち上がり頭を下げた。 「申し訳ありません。私は……」 「いいえ、心のどこかでは、忌み言葉として避けているのも事実でございますから」  逸子に宥められて、元通り座った。 「そうですわ、今思い出しましたけれど、あの時、噂が流れましたの」  思い出した勢いで言ってしまったのだろう、困惑した様子で逸子は口に手を当てた。 「どんな噂でしょうか? 決して他言は致しません」  先手を打って、逸子を促した。 「いえ、噂なのですけれど、その方が倒れてらしたのは、瀬戸様所有のビルヂングだったと……」
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