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憎しみ
『今日は礼子様のお誕生日。先日両親と一緒に銀座へ行った時、伊東屋で見つけた美しい硝子の文鎮をお祝いに贈った。礼子様は、ありがとう。と笑って仰ったけれど、どこか不満そうだった。私は知っている。礼子様が何をお望みか知っている。けれど、それを贈らない。私は絶対に礼子様には贈らない』
青井貴久子の死から一月後の日記。表向きは友人として付き合う礼子に対して、美沙子の憎しみが垣間見える。
貴久子の死から殆ど日記は書かれていなかった。書かれていたのは、貴久子が自ら命を絶ったらしいと噂を耳にした時と、ビルヂングから飛び降りたらしいと知った時のみ。久しぶりに書かれた日記の内容は、心穏やかならぬ感情を伝えていた。
逸子が言っていた、礼子の実家、瀬戸家所有のビルヂングから飛び降りたことを、美沙子は知っていたのだろうか?
「俺のいない内に、面倒なことになってるみたいだな」
隼人の親友である、新聞記者の中里勇一郎は、ぼさぼさ頭を手櫛で整えつつ、欠伸をしながら興味津々に言う。
夕べの未明に忍び込んで居たらしい。仕事が忙しくなくなるか、忙し過ぎるかすると現れるのだ。鍵を持っているからやりたい放題である。
「なんのことでしょう?」
「すっ呆けても駄目だぜ。新城礼子とランデヴーしたんだってな」
圭は小さく溜息を吐くと、冗談じゃありません。と、硬い声を出した。
「私はひとり、敵陣に乗り込んだだけです」
「一人ってひとり、隼人はなにしてたんだよ。新城礼子に食われたらどうすんだ?」
「食われるって、猛獣ではないのですから。
新城夫人の男嫌いは誰でも知っております。私は夫人から聞き出したいことがありましたので、長瀬さんを同伴するのは得策ではないと考えました」
「聞き出す?」
圭の目に、思案する様子が見られた。恐らく、勇一郎に話すべきかどうかを考えているのだろう。
すぐに圭は決心したらしく、ご内密に。と前置きして、圭とハルの夢の話、日記の内容、逸子から聞いた話を簡単に説明した。
「成程ねぇ。
新城礼子の取り巻きの美少女、どっから探してきてるか知ってる?」
圭は素直に、いいえ。と答えた。
「ただ、上流の出ではないと思われます。三人の少女を見かけましたが、一人は手が荒れていましたし、一人は洋装に慣れていない様子でした」
コォトを預けた時、あかぎれやしもやけで紫色に変色した手が痛々しいと感じた。
三人の中で最も慣れた様子で年嵩のアヤメは、言葉遣いに問題はなかったが、定型文と言った風な内容ではあったので、世間話をすれば違うのかもしれないと思わせられた。
「大当たり!
最初の頃は手近な所で漁ってたらしいけどさ、親がうるさいらしくて、仕方ないから信用できる人買いに頼んで、好みの美少女を連れてこさせるようになったんだとさ」
「信用できる人買い?」
抑々人買いを信用して良いのか? などと言う隼人の疑問は無視された。
「飽きた少女はどうするのでしょう?」
「本人の希望次第だが、お大尽の妾になったり、そこそこの家の女中奉公に行ったりしてるらしい。
まぁ、女中奉公の方は、すぐに問題起こして家を飛び出すって事例が続出してるらしいがな。
新城礼子の言うことさえ聞いていれば、綺麗な服着て、美味しいもん食べて、装飾品やら貰えてたんだから、今更普通に仕事なんざできるわきゃないよな。
新城礼子が圭ちゃんの母親、麻上美沙子男爵夫人にご執心だったのは、誰でも知ってる話だ。取り巻きの美少女だって、男爵夫人に似た雰囲気のある少女を選んでいるって専らの噂だし。
一度、全く似てない少女が傍にいると思ったら、真っ黒な長い髪が似てるって、ずっこけそうな理由があったからなぁ。
本人はどういうつもりかは知らないけど、周りからしてみりゃ、男爵夫人から相手にされなかった当てつけにしか思えまいよ」
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