27人が本棚に入れています
本棚に追加
彼女と過ごす大人な夜
「そろそろ冷えてきましたよ」
真っ暗な砂浜に座った彼女は小さく頷くけれど、その場から動こうとはしない。
「どうしました?」
久しぶり会えた今日は、二人の大好きな海を見に行こうとバスに乗って少し離れた街までやってきた。最初は楽しそうにはしゃいでいたのに、夕方に近付くにつれて少しずつ口数が減った彼女は、結局日が落ちるまで砂浜に座って海を眺めていた。
僕の肩にもたれかかる彼女を覗き込むと、彼女はゆっくりと視線をあげる。
「昨日に戻れないかな」
「昨日?」
「うん。ジュンに明日会えると思うと、嬉しくて幸せだった」
「今隣りにいるのは幸せじゃないんですか?」
肩に添えている手に少し力を込めて抱き寄せると、彼女は小さく首を振って俯いた。
「もちろん今も幸せだけど、私たちまた離れなくちゃいけない」
「……」
彼女が何を言いたいのか理解すると、抱き寄せた腕に思わず力がこもった。
住んでいる場所も近くて、忙しい合間をぬって会いにいける様な仕事ならいい。それなら会いたくて仕方がなくなった時に、何とかして会いに行くことができる。でも僕たちは違う。住んでいる場所も離れていれば、仕事で海外へ飛んで会えない日が何ヶ月と続くことだってざらにある。
「いつも寂しい思いをさせてごめんなさい」
「ううん。せっかく一緒にいるのに…こんなこと言って私こそごめん」
たとえ会えたとしてもまた離れなければいけない今日よりも、会える喜びを噛みしめて明日を待つ昨日の方がいい…か。確かにそうなのかもしれない。帰らなくてはいけないのに、帰りたくない。帰りたくないけれど…帰らなくてはいけない。そんな想いでずっとここに座っていたんだね。
「まだ時間はありますよ。ここは身体を冷やすのでとりあえずどこかお店に入りましょう」
「うん、そうだね」
「あ、その前に。最終のバスの時間だけ確認しておきましょう」
「ねぇ、今度はお弁当を持ってこようよ」
「いいですね。次来るときは、もう少し暖かくなっていればいいけれど」
彼女と歩くバス停までの道。電話越しではない彼女の声に、たわいのない会話ですら頬が緩んでしまう。同じように柔らかくなった彼女の表情に少しだけ胸を撫でおろして、バス停の時刻表を二人で確認した。
「ジュン!十分後のバスが最終だよ」
「本当ですね。確認しに来て良かった。もうこのままバスを待ちましょうか」
「うん、そうだね…」
海のすぐ側にあるバス停は、耳を澄ますと波の音が聞こえた。
「海すきだなぁ」
「また来ましょうね」
小さな街灯で照らされる小さなバス停。波の音だけが響くこの静かな空間は、何故か僕の心を少しだけ揺らした。
遠くの方でバスのライトが微かに見える。まるでこの幸せな時間に終わりを告げにきたよう。ふと隣を見ると寂しそうに俯く彼女は、今心の準備をしているのだろうか。僕とまた離れる準備を…。
こんなこと僕が考えてはいけないのに。バスのライトが近付いて来ると、揺れた心の中に滲んだ邪な気持ちが、身体中を侵食していった。
彼女を帰したくない。
バスが目の前に止まると、ゆっくりと立ち上がって乗り込もうとした彼女の腕を思わず掴んだ。
「ジュン?」
「すいません。乗らないので行ってください」
バスの運転手にそう告げる僕を彼女が驚いた顔で見上げた。
「え…何で」
「このバスが最終になりますがよろしいですか?」
「はい大丈夫です」
その後ドアが閉まったバスは僕たちを残して行ってしまった。
「ジュン?どうしたの?これに乗らないと…」
「…ごめんなさい勝手なことをして」
明日は互いに仕事がある。本当はこんなことをしてはいけない。そう分かっているのに、僕は彼女の腕を掴んでしまった。不安そうに僕を見つめる彼女の顔は、何故だろう。いつもよりずっと綺麗だ。
「でも今日は、貴女と離れられそうにありません」
「怒っていますか?」
窓を開けて海を眺める彼女の後ろ姿にそう問いかける。
「私はともかく…ジュンは明日の仕事はどうするの?」
「早朝にタクシーで帰れば間に合います」
「私が、寂しいなんて言ったから…?」
窓の外から入り込む風で彼女の長い髪が揺れて綺麗だ。
「違います。僕が一緒にいたかったから」
「うそ!こんな風に無理して…私があんなこと言ったから」
「…貴女は何も分かっていないですね」
少し乱れた彼女の髪に指を伸ばすと、ほんのりと潮の香りが鼻をついた。
「自分だけが寂しいとでも?」
「ジュン…」
「僕が…帰したくなかったんです」
「ん…っ…」
唇を重ねたまま彼女を白いシーツの上に倒すと、ベッドの軋む音が静かな部屋に響いた。これから始まる甘い時間に高揚する心は、その音にすら敏感に反応する。
「抱いて…いいですか?」
今更嫌だなんて言われたところで我慢できるはずもないのに。
まるで彼女に”抱いて”と言わせたいみたいだ。
「ジュン抱いて…」
子供みたいな僕のそんな欲望も、なんの躊躇もなく叶えてくれる彼女がたまらなく愛しい。胸の奥から湧き上がる愛しさと欲情を堪えられず深く唇を重ねると、薄い唇の隙間から漏れる嬌声が僕の鼓膜を揺らした。
「ふ…ぁっ」
「は…っ、もっと…」
僕の要求に素直に従うように絡み合う舌の感触が、頭の奥を痺れさせる。口元を伝っていく雫を指で辿りながら服の裾に指をかけると、彼女が小さく身体を捩った。
「長い間風に当たっていたから、身体冷えてますよ」
「ん…ジュンの手、温かくて気持ちいい…」
「じゃぁ、全身温めてあげなきゃ」
僕の手の動きに合わせて漏れる声に息が上がっていく。彼女との初めてを噛みしめて、ゆっくりと抱きたいはずなのに。そんな思いとは裏腹に白くて柔らかい肌の感触も、快感に素直なその表情も、怖いくらいに僕を興奮させた。
「こんなに感じているんですか…?」
「あっ…やだっ…」
沈み込ませた指が彼女の甘い声をどんどんと誘い出す。
「ジュ…ン…」
「何ですか?…もっと?」
「…っ、ちがっ…」
彼女の首元に顔を埋めてその行為に没頭すれば、耳元で響く甘い声に僕の身体の奥が苦しいくらいに疼いた。
「あっ…ジュン…だ、だめ」
「…っ、我慢しなくていいですよ」
快感に溺れるその顔が見たい。片方の手でこちらを向かせて見下ろせば、僕だけが映るその瞳が切なく揺れる。あぁ…まるで僕が貴女を支配しているようだ。
「ほら…」
容赦なく速めた指の動きに抗えず、彼女はそのまま快感の波に飲み込まれていった。
濡れた自分の指も…乱れた彼女の呼吸も、じわりと感じる汗も、何もかもが僕の欲情を駆り立てる。
「…大丈夫ですか?」
「ん…ジュンも…早く」
息を切らす彼女の甘い誘惑に負けて、頭を撫でていた手を自身のベルトへと運ぶけれど、それを外す時間すらも惜しい。どこかを彼女と繋げていたくて、何度も唇を重ねた。
「…っ…」
彼女を求めて熱くなっていた身体は、簡単に深い快感に沈み込みそうになる。
「ん…ぁん…っ」
僕の首に回る彼女の腕で更に深く繋がる身体は、溶けてなくなってしまいそうだ。寂しくて、離れたくなくて…もっと相手を深く感じたい。言葉にしなくても僕たちはこんなにお互いを求めている。
「…はっ、…てます」
「…なに…?」
「愛してます」
「あっ…ジュン…私も、愛してる」
身体だけじゃなく胸の奥底まで満たされるその言葉。
「ね…一緒に…」
ねだるように身体を動かせば自然に指が絡まりあう。一つに溶けあうような快感の中で、ふと自分のものに出来た満足感に包まれた。
「もう僕のものだ…」
その痺れるように甘い満足感が拍車をかけるように、僕たち二人は快感の海へと深く沈んでいった。
彼女が眠ったのを確認してベランダへ出ると、潮の香りがする冷たい風が火照った身体を鎮めてくれる。
彼女の前で大人の男でいたいと思うのに、自分のわがままで彼女を引き止めてあんな風に抱くなんて…。子供っぽい自分を恥じながらも、この心は幸せな気持ちで溢れているのだから、僕は本当にどうしようもない男だ。
彼女が言う通り…会えば離れる時が辛いけれど、離れて過ごすその時間が、どんなに貴女を愛しているのかを嫌というほど教えてくれる。だから次に会うときは前よりもずっと、貴女への愛が深くなっているんだ。
僕たち、そうやってずっと愛を育んでいこう。
貴女となら離れている時間すら、愛しいのだから。
波の音を聴きながら小さなベッドで眠る彼女を見つめた。
また僕は今日、昨日よりももっと、貴女を好きになったよ。
最初のコメントを投稿しよう!