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初恋の記憶 1
小学生のとき、近所の少年野球チームに入っていた私は、中学では迷わずにソフトボール部に入った。市内では強豪と言われていたチームでの厳しい練習も、ボールを追うことが好きな私には楽しくて夢中になっていた。
どちらかというと男まさりな性格だったから、異性を意識したのも遅かったと思う。私の初恋は中学になってからだった。
ある日の放課後、部活に行く前に、音楽室に忘れたシャープペンを一人で取りに行った。
音楽室のある三階についたとき、ピアノの音が聞こえた。音楽には特に興味がなかったから、曲名なんかはわからなかったけれど気持ちのいい音だった。
ドアを開けて演奏を止めたくないと思って、廊下の壁に凭れて終わるのを待ちながら聴いていた。いくつもの音が重なり、滑るように流れていく。ピアノの音ってすごく立体的なものなんだなと思いながら、どんな風に指が動いているのだろうと考えて自分の手を見た。突き指で節が高くなった日に焼けた右手と、右手より少し白い左手。
「きっとこんな手じゃないだろうなあ」
声に出てしまったそんな自分の呟きは、ピアノの音の邪魔だと思った。
目を閉じると、ここが学校のコンクリートの廊下ではなくて、樹々に覆われた森のなかのように感じて、また聴き入っていた。
どうやら演奏が終わったときに、そっとドアを開ける。ピアノの前にいたのはクラスメイトの下野くんだった。
私に気づいて下野くんが驚いた顔をする。
「ど、どうしたの? 練習は?」
慌てて吃った下野くんを可愛く感じた。
「シャーペン忘れた。下野くんピアノ弾けるんだ、上手だね」
言いながら、五時間目に使った机のなかを見たけれどシャープペンはない。
「あれ?」
今日、この部屋を最後に使ったのは私たちだ。
「ないの?」
ピアノの前から聞いてくれた下野くんは、立ち上がって近づいて来てくれた。
「うん」
答えると周りの机の中を調べてくれる。
「何色?」
「濃いピンク」
彼は何も言わずに、他の机も見て回ってくれた。
離れて机のなかを覗いて回りながら、変な感じがしてくる。
「下野くん、ピアノ弾いてていいよ」
「いいよ、恥ずかしいし」
「どうして?上手だったよ。下野くんがピアノ弾けるって知らなかった」
「それナイショにして。人前で弾かされたりしたら嫌だから」
照れたようでもあり、怒ったようでもある彼の言い方が気になった。
「ごめん、私、聞いちゃったよ。廊下で」
下野くんはちょっとだけ驚いたような顔をして、私を見るとすぐに視線を外した。
「……佐原はいいよ」
なんだかドキンとした。さっきのピアノの音が脳内に蘇ってきて、急に恥ずかしくなった。慌てて机の中を覗きながら、
「じゃあ、また聞かせてね」
そんなことを言ってしまった自分の大胆さに驚いた。
「うん」
下野くんはそう答えてすぐに、また近くの机を覗き込んでくれた。
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