甥っ子

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甥っ子

 もう夜が近づいてきている。夜になるとうっかり姿を見られることがある。今の私にそれはよろしくない。  見えないはずの姿なのに、自分の生まれた家なのに、私は隠れるようにしながら懐かしい家の中に入った。  この家には父が亡くなる前の年から弟の和也夫婦が同居していた。仕事の都合で一人暮らしを余儀なくされた私としては、母が一人にならなくてよかったと安心していた。  結局、独身のまま死んだ私の位牌や遺影も、両親のそれと共に和也がみてくれている。今どき、長男としての務めだと言ってくれた和也には、本当に感謝している。義妹の渚さんもいい人だ。私は抱けなかったけど、今はかわいい甥っ子も生まれている。母も「死ぬ前に孫が抱けた」と喜んでいたし、それを父はとても羨ましがっていた。  懐かしい家の居間に、和也と渚さんがいた。何か話しながら笑っている。幸せそうな空気が漂っていてほっとしていた。  二人に気づかれないように、できる限り気配を殺して、昔の自分の部屋に向かった。母が生きていたとき、最後にここに来たときはまだ私の部屋は残っていた。「もう死んだんだから片付けていいよ」って母の夢枕で言ったような気がする。  ドアをすり抜けて部屋に入った。  でもそこはもう私の部屋ではなくなっていた。  勉強机があった場所には、小さな洋服ダンスがある。横には三段ボックスが二つ。ひとつには絵本が並んでいる。ひとつには三段ともカゴに入ったオモチャが。  そして、和也との二段ベッドを解体したベッドがあった場所に、新しいベッドがあった。そこに子供の頃の和也にそっくりな男の子が、たいそうな寝相の悪さで眠っている。  ふと見たベッドの脚元の床に、よく知っているものがあった。グローブ。  隙間から覗いた元私の部屋で、今はかわいい甥っ子の部屋のクローゼットには、季節が来るまで使わないストーブや布団が仕舞われている。あの箱はなかった。  もう一度ベッドに近づいて、甥っ子の顔を見ながら床にあったグローブを手に取ると、そこには黒の油性マジックで『Mickey』と。  間違いない、これは私が中学三年間愛用してきて、あのキューブ型の箱にしまっていたグローブ。あの箱から出されて、今はこの子が遊んでくれているのだろう。それはとても嬉しいことだった。  でも、このグローブが入っていた箱は見当たらない。箱に入っていたもう一つの箱も、もうここにはきっとない。
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