SWITCH

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 その方向へと視線を投げれば、フチなしの眼鏡をかけた――また足の長い長身の男が、ソファに深く腰を掛けて、こちらを軽く睨んでいる。しかしその棘を含む言葉は、俺を助けてくれるために言ったというより、会話をやめさせたいと言うように、彼はすぐに手元の文庫本へと視線を落としてしまった。 「へーい」  窘められた男は少し猫背になりながら、ソファへと戻って行く。なんなんだ、ここは。そんな疑問を誰にも投げられないまま、所在なく出入り口に立っていると、 「悪い、待たせた」  そう言いながら、扉の奥から志村が戻ってくる。俺は志村の姿を見留めると、少しだけほっとしている自分に気付いた。その事に対して、慌てて首を横に振ると、俺は「行こう」とまた俺の手を躊躇いなく引っ掴む彼に引きずられた。つんのめりながら部屋を出ると、更に上の階へと歩を進める。 「なんだよ、どこ行くんだよ」  いい加減好きにあちこちへと連れ回される事に腹が立ち、そう広い背中に訴えた。彼はちらりとこちらへと振り返ると、俺の手を握る手とは、反対にある手の指に引っかけた鍵をチャリ、と小さく揺らした。 「部屋借りて来たんだよ」 「部屋ァ?」  何を言っているのか分からず、不愉快だとあからさまに眉間に皺を寄せて、志村を睨み上げる。志村はそれ以上いう事はないと言いたげに、二階分の階段を登ると、分厚い深緑色の扉の鍵穴に、それを差し込んだ。  重苦しい開錠音が響いて、ぎい、と油の切れた車輪のような音を立てながら、扉が開かれる。中は先ほどの部屋と同様、広々としていたが、雰囲気がまるで違った。  ベッドがあり、ソファがあり、テーブルがあり、人が生活する空間として成立している空間だ。誰かが住んでいる部屋、と言っても「そうなんだ」と頷ける生活感がそこはかとなく漂っている。 「入れよ」  そう促されて、抵抗する間もなく部屋の中へと半ば強引に引きずり込まれた。 「お前さっきから乱暴すぎる!」  強引に歩かせるわ、引っ張るわ、納得がいかずに訴えると、ブラインドの下がった薄暗い部屋の中、扉がばたんと閉まった。重く塞がれた出入り口。鍵はまだかかっていないとはいえ、その光が真っ直ぐ届かない心許なさに、思わず訴える語調が弱くなる。  志村は俺の両二の腕を掴み、引き寄せて来た。肩から鞄がずれ落ちて、志村の手首に掛かる。仄暗い視界に慣れてくると、真っ直ぐと彼に見つめられている事が分かった。  嫌な予感がした。指先が痺れる程の、恐怖にも似た感覚がぴりぴりと身体を支配していく。だめだ、逃げろ。本能の警鐘が、頭の中で鳴り響いているのに、俺は何故か指先一本動かす事が出来ずに、志村を見つめていた。  志村の薄い唇が動く。  嫌な予感が確信に変わる。 「スイッチ」
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