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速度と距離を保とうとする私の努力とは裏腹に、私とアンナはどんどんと近づいているようだった。デートは非日常から日常へと変わっていった。私の中でアンナの存在が大きくなっていけばいくほど、重力も大きくなって、私はますますアンナに惹かれていく。私の孤独は満ち欠けを繰り返しながら、次第に細くなっていった。
私はいよいよアンナと別れなければならないと思った。そうでなければ、私は本来の私ではなくなってしまうだろう。
その日私とアンナは百貨店に電車で向かった。いつもの買い物ならば私が車で迎えに行くのだが、アンナが百貨店の屋上で開催されていたオクトーバーフェストでビールをしこたま飲もうと言うので電車で行くことになった。電車の中で私とアンナは隣の席に座った。ギヤシフトを挟んだ車の中とは違って、私は彼女とピッタリくっつくかたちとなった。私の肘のあたりにノースリーブの露になった彼女の二の腕のひんやりとした感触が伝わる。彼女からはメンソール系の日焼け止めの匂いがした。
夕方の百貨店の屋上はまだ生暖かく、ドイツ民謡のひょうきんな音楽とともに、老いも若きも宙に浮いたみたいにゆったりとした時間を過ごしていた。私は彼女の分のジョッキとソーセージの皿を持って、アンナの待つプラスチックのテーブルに運んだ。
「なんかこういうのも良いね。」
アンナは笑った。私も同感だった。きっと本来の私ならばこんな騒々しい場所に少しでも良さを見出すことはなかったのだろうが、アンナといると素直に良いと思えてしまう。
アンナはジョッキを傾けながら、私を見た。私は未だに彼女の視線に喜びと不安を感じていた。
「君はどうして私と付き合ってくれたんだろうか?」
私はしどろもどろしながら、そんなことを聞いた。聞いてから後悔したが、私には後から誤魔化す技量もなかった。
「どうしてかな。もちろんあなたのことが好きだったんだけど、本当のことを言えば、あなたが孤独な人だったからっていうのもあるかもしれない。あなたなら例えばきっと結婚したいなんて言ってこないだろうと思って。」
「君は結婚したくないの?」
それは私にとって意外だった。女性は愛の先に結婚という結果を求めるものだと思っていたし、アンナもそうだと勘違いしていたのだ。
「うん..。実はね。私、子供を産めない身体なの。」
アンナはゆっくりと全てを明らかにするような口ぶりであったが、私にはそれがどうして結婚したくない理由になるのか、即座に理解できなかった。
「結婚て、結局は一緒に暮らして、子供を作りましょうっていうことでしょ。実際に子供が出来るかどうかは別としても、その可能性のために一緒になるわけであって。そうでなければわざわざ不自由な結婚なんて求めたりしないと思うんだよね。異性を好きになって、付き合って、結婚して。それって結局は子供を産むっていうミッションを果たすために、遺伝子が私たちにそうさせているということだと思うの。」
アンナは真剣に言っているみたいだった。
「だから私はあなたを利用したんだと思う。あなたが結婚しなくてもいい孤独な人だったから。」
やはりアンナは私の孤独を見抜いていたようだ。私はその時無性にアンナが愛しく思えた。やはり私は引き返せないところまで変わってしまったみたいだ。私の中の孤独が彼女の孤独と繋がったような気がした。
「結婚しよう。」
「え?私の話聞いてた?私は子供を産めないし、結婚する意味がないって言ったの。」
意味などなくたって良いと私は確信を持つことができた。あの懐かしい家庭の牢獄にはもともと意味なんてないのだ。大地震も戦争も、不妊も遺伝子も、そして結婚も孤独も。何がどうであっても私たちは生きているし、生きていかねばならぬ。
「結婚しよう。」
私はもう一度言った。息を止めて孤独の底に向かって深く深く潜っていく。彼女の唇にそっと触れた。私はやっとまともに息が出来たみたいだった。
了
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