第12話 次期天皇候補(三日月)

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第12話 次期天皇候補(三日月)

僕の名は弓削皇子、父天武天皇の第9皇子です。 同じ両親の兄の長皇子様や義理の兄の高市皇子様 と共に持統天皇様を手助け、支えてきたのに、 その後の出来事で不信に思うようになった。 僕が19歳の頃(696年7月頃)、 高市皇子様が原因不明で亡くなった。 僕はまだこの時高市皇子様が持統天皇の命で 暗殺された事実を知らなかった。 僕は母上の大江から色々と持統天皇様の怖さを 聞いていた。 母上の大江は天智天皇様の皇女で 川島皇子様とは同じ父母の兄妹、 持統天皇様や大田皇女様とは義理の姉妹なので、 亡くなられた川島皇子様やお慕いする 大津皇子様の事柄に関する持統天皇様の 怖さを聞いているので 私は憶測で大津皇子様や川島皇子様、 それに最近亡くなられてお慕いする 高市皇子様もまた持統天皇様の策略で 殺されたんじゃなかろうかと。 そんな直感が自身を武者震いさせるが、 僕は怖さと同時に怒りや悔しさも 込み上げてきた。 母上からも散々聞かされてきたお言葉。 ー義理の姉持統姉様、あの人は何をするか  判らない人。  私は貴方弓削皇子とお前の兄の長皇子を  守る為に必死に持統姉様の言うことを  逆らわず聞いているの。あのお方を  怒らせてはなるまいて。  私の夫である先帝様でさえあのお方に  気を使っておったのじゃ。  義理の長姉の大田姉様でさえ、持統姉様が  毒を盛ったに違いない。  可愛そうな大田姉様。ー 半年が過ぎ僕が20歳の頃 (697年2月頃)、 皇嗣選定会議に出席した。 「わが国では、天位は子や孫がついできた。  もし兄弟に皇位をゆずると、それが原因で  乱がおこる。  この点から考えると皇位継承予定者は  (おの)ずから定まる。  珂瑠皇子こそ皇太子にふさわしい。」 と葛野王は主張した。 葛野王に対して、僕は反論しようと前に出た。 「私は兄の長皇子を皇位継承に推薦・・」 と言いかけた所で葛野王に叱責されてしまった。 まだ、殆ど言いたい事は申してないのに。 態度に出てしまった事で葛野王に咎められた という事か。 私は同父母である兄の長皇子こそ次期天皇に 相応しいのにと悔しがった。 私はその頃には、愛しい義理の妹と 仲睦まじい関係を気づいていた。 初めは僕の一方的な淡い片想い。 私は和歌に興味を持ち、 ありったけ想いを和歌に込めて 愛しい妹である紀皇女に気持ちを伝えた。 ー僕がこの時点で紀皇女に宛てた和歌ー  吉野川 行く瀬の早み しましくも   淀むことなく ありこせぬかも  (少しも止まることのない吉野川の   早瀬のように、二人の関係もずっと   続いてくれないか。   いつまでも好きだよ。) ー紀皇女が宛てた和歌ー  軽の池の浦廻うらみ行き廻みる鴨すらに  玉藻の上にひとり寝なくに  (軽の池の岸に沿って行き巡る鴨ですら、   藻の上で独り寝などしないのに。) 私は紀皇女が一人寂しくそれで私を 誘ってきていると思い、私は紀皇女に 直接思いをぶつけると、 紀皇女も同じ気持ちだった為に、 私は紀皇女を愛おしく抱いた。 だが、神様は私達に微笑んではくれなかった。 うすうす私達の想いを邪魔してか、 それとも持統天皇様の警告なのか、 嫌がらせなのか判らなかった。 それから半年が経ち(697年8月頃)、 持統天皇様から孫の珂瑠皇子へと譲位されて 珂瑠皇子が第42代文武天皇として即位した。 更に持統天皇様が太上天皇として文武天皇の 後見役としたのだ。 私はこれで持統天皇様がずっと支配すると思い、 私の兄である長皇子が天皇になる夢は 諦めてしまいました。 もう持統天皇様には逆らえない、 悔しい気持ちが無くなり、絶望の気持ちが 高まった。 私はその頃、母から高市皇子様が持統天皇様に 暗殺された事を聞き、益々怖くなった。 薄々は感じていたのだが 本当に持統天皇様は欲深い人で何をしでかすか 判らない人だとこの頃から強く感じていた。 僕と歳が近い兄弟、義兄弟が四人いて 同じ母である一番仲が良くお慕いしている 兄の長皇子もそうであるが、 最近見かけない磯城皇子は私と同じ歳だったので 昔は良く遊んだものだが、 最近は滅多に会っていなかったので ふと気になり磯城皇子の宮へと出向くと そこには義兄の忍壁皇子がいた。 高市皇子亡き今となっては 男兄弟義兄弟の中では忍壁皇子は一番の 年長であった。 「忍壁皇子様、お久しゅうございます。  久しぶりに磯城皇子へ会いたく参りました。  磯城皇子はいらっしゃいますか?」  忍壁皇子と磯城皇子は同じ父母の兄弟ゆえ、 仲が良かったのだろう。 「磯城は何者かに毒を盛られ殺害された  との事だ。  たまたま磯城の妻子は出掛けられて  磯城一人の時に毒を盛られたらしいのだ。」 僕は般若の顔した持統天皇様が頭に浮かんだ。 やはり持統天皇様が暗殺させたのか? 僕の兄弟義兄弟達がどんどん減っていく。    「更に残された磯城の妻から幼い子供達を  お願いと頼まれ、ちょっと目を離した隙間に  磯城の妻が首をくくり自害してしまったのだ。  それで磯城の宮の中を整理していた所で  そなた弓削皇子が来たという訳なのだ。」 「思いがけないことで、ご愁傷様でございます。  それにしても一体誰がこのような事を  しでかしたのでしょう。」 僕は持統天皇様がやったのでは?などと 母上以外には誰にも言えなかった。 これが噂に広がれば謀反の罪をきせられぬ やもしれぬ。 それから一年が経ち僕が21歳の頃 (698年の頃)、 持統天皇様は僕と紀皇女の事を知っての事か 知らぬの事か判らぬが、 持統天皇様の孫の文武天皇様の皇后として 持統天皇様が紀皇女を推薦した知らせを聞き、 僕は唖然として驚きと悔しさ悲しさが 込み上げてきた。 我が義妹紀皇女が好きで好きで堪らなく、 片思いから両思いへ心温めてきたというのに 紀皇女はどう思っているのでしょう。 僕はこの時、和歌を三話作り、 紀皇女へ気持ちを伝えた。 ー僕がこの時点で紀皇女に宛てた和歌3話ー  我妹子に 恋ひつつあらば 秋萩の   咲きて 散りぬる花に あらましを  (あなたに恋い慕い悩んでいるよりも、   秋には咲いてすぐに散る萩の花のほうが、   まだましなのです。)  夕さらば 潮満ち来なむ 住吉の   浅鹿の浦に 玉藻刈りてな  (夕方潮が満ちてきて邪魔が入る前に   今のうちに結婚してしまいたい。)  大船の 泊つる泊まりの たゆたひに   物思ひ痩せぬ 人の児ゆゑに  (大きな船が停まっている港の光景のように、   貴女(紀皇女)のせいで心が揺れ   止まらずに悩んで痩せてしまった。) 兄の長皇子様にだけは、 紀皇女との色恋事について お互い真剣である事を伝えると、 兄から和歌が贈られてきた。 ー兄の長皇子様が僕に宛てた和歌ー  丹生にふの川瀬は渡らずてゆくゆくと  恋痛こひたし我が弟せいで通ひ来こね  (丹生の川の瀬は渡らずに、   まっすぐどんどんと通って来てください。   恋しさに心痛む我が弟君弓削よ。) 僕は兄長皇子様にだけは、理解して貰えて 嬉しかった。 もう僕は持統天皇様にも文武天皇様にも 怖がらず、彼らに紀皇女を与えてたまるものか。 僕達の幸せを横取りしやがって許せない。 その翌年僕が22歳の頃(699年の頃)、 僕と僕の愛しき紀皇女は持統天皇様と 文武天皇様に抵抗する為、 文武天皇様の婚姻儀式の前日から 僕の宮へ二人で裸になり愛しあっていた。 当日の早朝、僕の宮へ文武天皇様の兵達に 僕達は裸のまま二人共に連行され 持統天皇様の前へ見せしめに 僕達は全裸のまま十字へ磔にされ、 そのまま斬り捨てられた。
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