天武天皇の皇子達(誰も天皇には、なれなかった)

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天武天皇の皇子達(誰も天皇には、なれなかった)

1.天武第①皇子【高市皇子】   天武天皇の次期皇位継承序列3番手。   持統天皇の次期皇位継承序列2番手。   生誕654年〜696年42歳で崩御。   母親は豪族の娘。   同じ父母の兄弟姉妹は居ない。   天智の皇女の御名部皇女、   義妹の但馬皇女は妃。   長屋王は御名部皇女との子供。   (子供6人設ける)   672年18歳で壬申の乱で参戦。   679年吉野の盟約に参加。   685年冠位48階制定時、   浄広弐の位を授与。   (冠位8階目)   690年持統天皇が即位時、   太政大臣に任命。   696年崩御までに最終冠位   浄広壱太政大臣。   (冠位6階目) 2.天武第②皇子【草壁皇子】 391e1432-1a3f-4a98-ba71-ec8782f78bfd   天武天皇の次期皇位継承序列1番手。   生誕662年〜689年27歳で崩御。   母親は天智の皇女で天武の皇后かつ   持統天皇。   同じ父母の兄弟姉妹は居ない。   天智の皇女の元明天皇は妃。   元正天皇、文武天皇、吉備内親王は   元明天皇との子供。   祖父、祖母、父、母、妻、子供2人、   孫共に天皇に即位したが草壁本人は   皇太子で終わった。   679年吉野の盟約に参加。   681年皇太子として抜擢。   685年冠位48階制定時、   浄広壱の位を授与。   (冠位6階目)   686年天武天皇、大津皇子が崩御したが、   天皇には即位しない。 3.天武第③皇子【大津皇子】 8d26e335-51c3-43ce-ae79-7b644027df53   天武天皇の次期皇位継承序列2番手。   (天武は当初次期天皇後継者として    考えていた)   生誕663年〜686年23歳で崩御。   母親は天智の皇女の大田皇女。   大伯皇女は同じ父母の姉。   天智の皇女の山辺皇女は妃。   栗津王は山辺皇女との子供。   667年4歳時、母の大田皇女が崩御。   679年吉野の盟約に参加。   685年冠位48階制定時、   浄大弐の位を授与。   (冠位7階目)   686年9月天武天皇が崩御し、   殺される予感の為、姉大伯皇女に会いに   伊勢神宮まで出向いた。   686年10月親友である川嶋皇子の   密告により謀反の罪で自害。  (大津皇子の変・・・   謀反をしていたか定かでない) 4.天武第④皇子【忍壁皇子】   天武天皇の次期皇位継承序列5番手。   持統天皇の次期皇位継承序列7番手。   生誕664年〜705年40歳で崩御。   母親は皇族でも豪族でもない低身分。   磯城皇子、泊瀬部皇女、託基皇女は   同じ父母の兄弟姉妹。   天智の皇女の明日香皇女は妃。   子供4人設ける。   679年吉野の盟約に参加。   681年川嶋皇子らと共に   「帝紀及び上古諸事」の編纂を参与。   685年冠位48階制定時、   浄大参の位を授与。   (冠位9階目)   700年大宝律令選定に任命。   701年大宝律令による位階制の導入で   浄大参→3品に変更。   (冠位5階目)   702年知太政官事に就任。  5.天武第⑤皇子【穂積皇子】   元明天皇の次期皇位継承序列3番手。   生誕670年〜715年45歳で崩御。   母親は豪族蘇我氏出身。   紀皇女は同じ父母の妹。   子供2人設ける。   豪族出身で歌人の大伴坂上郎女は妃。   700年浄広弐の位を授与。   (冠位8階目)    701年大宝律令による位階制の導入で   浄広弐→3品に変更。   (冠位5階目)   705年知太政官事に就任。   715年位階制は3品→1品に変更。   (冠位1階目)   729年新田部皇子と共に長屋王を   糾問、自害させる。(長屋王の変)  6.天武第⑥皇子【舎人皇子】   持統天皇の次期皇位継承序列6番手。   元正天皇の次期皇位継承序列2番手。   生誕676年〜735年12月   59歳で崩御。   母親は天智の皇女の新田部皇女。   同じ父母の兄弟姉妹は居ない。   貴族出身の当麻山背は妃。   淳仁天皇は当麻山背との子供。   (子供9人設ける)   695年浄広弐の位を授与。   (冠位8階目)   701年大宝律令による位階制の導入で   浄広弐→2品に変更。   (冠位3階目)   718年位階制は2品→1品に変更。   (冠位1階目)   719年新田部皇子と共に聖武天皇の   補佐を任命。   720年日本書紀編修事業の総裁   720年知太政官事に就任。   729年新田部親王と共に長屋王を糾問、   自害させる。(長屋王の変)   735年葬儀に太政大臣の官職が贈られた。  7.天武第⑦皇子【長皇子】   持統天皇の次期皇位継承序列4番手。   元明天皇の次期皇位継承序列2番手。   生誕676年〜715年7月39歳で崩御。   母親は天智の皇女の大江皇女。   弓削皇子は同じ父母の弟。   身分の判らぬ妃がいる。   11人の子供を設ける。   693年浄広弐の位を授与。(冠位8階目)   701年大宝律令による位階制の導入で   浄広弐→2品に変更。   (冠位3階目)   714年位階制は2品→1品に変更。   (冠位1階目)    8.天武第⑧皇子【磯城皇子】   持統天皇の次期皇位継承序列3番手。   生誕677年〜697年20歳で崩御。   母親は皇族でも豪族でもない低身分。   忍壁皇子、泊瀬部皇女、託基皇女は   同じ父母の兄弟姉妹。   身分の判らぬ妃がいる。   3人の子供を設ける。     695年浄広壱の位を授与。   (冠位6階目)  9.天武第⑨皇子【弓削皇子】   持統天皇の次期皇位継承序列5番手。   生誕677年〜699年22歳で崩御。   母親は天智の皇女の大江皇女。   長皇子は同じ父母の兄。   妃も子供も居ない。     693年浄広弐の位を授与。   (冠位8階目) 10.天武第⑩皇子【新田部皇子】   元正天皇の次期皇位継承序列3番手。   生誕683年〜735年9月   52歳で崩御。   母親は藤原鎌足の娘の五百重娘。   同じ父母の兄弟姉妹は居ない。   身分の判らぬ妃がいる。   道祖王は子供であるが、   後に孝謙天皇の皇太子に   任命されるが、廃太子となる。   (拷問受けて崩御)   6人の子供を設ける。   700年浄広弐の位を授与。   (冠位8階目)   701年大宝律令による位階制の導入で   浄広弐→3品に変更。   (冠位5階目)   707年位階制は浄広弐→2品に変更。   (冠位3階目)   719年舎人皇子と共に聖武天皇の   補佐を任命。   720年知太政官事に就任。   720年大将軍の称号を授与。   724年位階制は2品→1品に変更。   (冠位1階目)
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