夢の浜辺

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『歩が入院した。今、先生と話しているからあなたもつないでちょうだい』  妻の美紗(みさ)からの通信を、昭生は出張先のホテルで受けた。メガネ型端末のスイッチを入れると、病室の中の美紗と初老の医師、そしてベッドに横たわる息子の姿が映し出される。 「入院って。何があった」 『息子さんは、自己没入型解離性障害……いわゆる夢依存です』  医師の返答に、昭生は絶句した。  夢依存は、拡張現実(AR)ゲームが生み出した現代の精神疾患だ。  ヘッドギア型の端末から直接脳に電気信号を送り、人工的な五感と仮想世界を作り出す技術が開発されて十数年。その技術を活用したARゲームが爆発的に普及するとともに、長時間のプレイが脳に及ぼす影響が世界中で問題となった。  ゲームがもたらす快楽を求め、脳が端末の信号を模倣するようになる。それにより、プレイヤーがゲーム終了後も自前の仮想世界の中にとらわれてしまうのだ。メーカー側は対策を講じたが、現実世界からの逃避を求め、進んで仮想世界にはまりこむプレイヤーもいた。  脳の作り出した架空の世界で夢見るように生きる。これが通称『夢依存』の由来だ。だが昭生は、より侮蔑的なスラングを知っていた。『真性ネトゲ廃人』、または『究極の引きこもり』。  なんてこった。昭生は思った。歩が――よりによって――ネトゲ廃人になるなんて。 『息子さんの端末から、改造ソフトウェアが見つかりました。夢依存の発症リスクが高く、配布が禁止されているものです』 「なんでそんなもの……美紗、家にいて気が付かなかったのか!」  動転した昭生は思わず妻をなじったが、美紗は泣きはらした目を吊り上げて逆に昭生を睨み付けた。 『そっちはずっと、みて見ぬふりしてたくせに! 父親なら、早く帰ってきて。歩を助けてよ!』 「俺が助けるって? どういうことだ」  医師の落ち着いた声が割って入る。 『夢依存の患者さんは、外部の感覚を遮断しています。ですから、こちらも端末を使って、息子さんの脳が作り出した仮想世界――息子さんの精神世界と言ってもいいでしょう――にアクセスし、直接呼び戻すのです。実は、奥様にはすでに試していただいたのですが……』 『私は、アクセス拒否された』  美紗が、暗い表情で言った。 『当院でも、専門の療法士に声をかけているところです。ですが、判断するのは息子さんご自身なので……一般的には、近しい方でないとアクセス許可される可能性は低いと思います』 「しかし、息子は二年も引きこもっていて……私は、もうずっと息子と顔を合わせていないので」  母親である美紗がアクセス拒否されているのに、自分が許可されるとは思えない。そう伝えようとするのを、美紗が遮った。 『何言ってるの。あなた、父親でしょ。早く帰って来てよ! このままだと、歩は寝たきりになるんだよ? さ、最後には、生きることもやめてしまうって……』  泣き崩れる美紗を看護師がなだめ、部屋から連れ出す。 『森下さん。まずはアクセスを試していただいた方が良いと思います』  医師の言葉に、昭生はうめいた。仕方がない。会社への説明を考えなければ。
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