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男は廊下を大股で素早く歩き、城の救護室の扉を開く。今は大抵の医師が王子の傍らにいるため、残っている人物に察しがついたのだ。
その人物であれば、この少年を治療してくれるに違いない。
「ドナートその少年は?」
救護室には一人の青年がいた。見目は良く、銀縁のメガネをかけている。
少年は痛みに顔を歪めてはいるが、声ひとつあげようとしない。
「リベリオ頼む。顔の傷の手当てを……。彼はエミリアン王子の影だ……」
ドナートは少年と深い関わりがあったわけではなかったが、助けたかった。ふとした時に、少年が王子以外の者からは疎まれ、虐げられているのを知っていたのだ。
「どういう事だ?」
リベリオは眉根を寄せて、怪訝そうな顔をしている。ドナートは今自分が見てきたことを素直に話す。
「エミリアン様の死で半狂乱となった王妃様に暖炉にあった燃え盛る杭で……」
「分かった。あの感情の起伏が激しい王妃のことだ。顔が似ているというだけで、この有様か……」
リベリオは頭を抱えると、ドナートの言葉を遮り、抱かれている少年の手を掴む。
「痛みがあるのは分かるが、少し手を退けてくれ」
リベリオの顔が歪んだ。すぐにリベリオは表情を戻し、ドナートへ指示を出してきて、少年を病床へと寝かせる。少年を寝かせれば手の間から患部が見える。
額から右目にかけて傷ができ、その傷口の周囲には水膨れができ始めている。
「まずは消毒してから、冷やすぞ。かなり痛むから押さえる」
リベリオは枷で少年の腕を拘束すると、横向きにし、布を噛ませる。少年は何をされても声を出すことはなく、必死に痛みにも耐えているようだ。汗が至るところから吹き出ている。
「行くぞ!」
「んゔー! ゔー! ゔー……」
消毒液をかければ、傷口に染みるようで、声にならない呻き声を上げている。
無事であった左目は見開かれ涙を流し、歯を食いしばる。ドナートはとても見ていられず、目を瞑る。
「よく、頑張った。痛み止めの薬を飲んで、後は患部を冷やそう」
その声にドナートが目を開けば、拘束を解かれ、仰向けに寝かされ、右目の上に布を被せられている少年がいた。
「影よ。よく頑張った。本当に頑張った」
少年の手を取り、ドナートは涙を流した。少年の表情は変わらず無表情だ。
そう躾けられているのだ。王子の影となるべく表情は出さずに、王子の代わりを演じる時にだけ、笑顔を作る。
それが幼い時から続いていれば、感情を出す術を失っていてもおかしくはない。
「…………う」
「ん?」
「ありがとう……」
確かにか細い声だったが、そう聞こえた。ドナートの表情は崩れ、止まらない涙に、少年の手を握る自分の手に顔を押し付けた。
少年は一筋だけ涙を流すと、寝入ってしまったらしい。一定のリズムで呼吸音が聞こえる。
「それでドナートどうするんだ。どうせ、勝手にここに連れてきたんだろう? 城にいれば、殺されてもおかしくないぞ?」
「王妃様の感情が落ち着けば……」
「甘い……この少年にはもう用がない」
リベリオの言っていることは正しかった。仕えるはずの王子は亡くなり、もうこの城では存在する意味がないのだ。
下働きになったとしても、どういう扱いをされるかは分からないし、リベリオの言っている通り、殺されるかもしれない。
——捨ててこい。それが下されていた命令だ。
「しかし、あまりにも残酷だろう。影として育てあげられ、何もかも奪われ、この仕打ち……」
「関係ないさ」
「それは……分かっている」
「分かっているなら、何故治療などしておるのだ。ドナートよ」
扉を開けて入ってきたのは40代前半に見て取れる緋色の髪をカッチリ後ろに流し固めた男だ。ドナートの直属の上司でもある。
「マルセル隊長!」
「ドナート。それは捨ててこいと言われたはずだ」
「しかし、まだ幼い子供です」
マルセルは少年を毛布に包み抱き上げ、どこかへ連れて行こうとする。ドナートはマルセルの腕を取ろうとするが、マルセルは振り返る。
「命令は命令だ。王族の命に背けば、どうなるか分かっているだろう? お前が手を下さないのであれば、俺が捨ててくる」
「ですが……」
ドナートはマルセルの腕を取るが、一瞥されその手をすぐに離し、頭を下げる。
「情に流されれば、自分の首が飛ぶぞ」
「せめて、どこに連れて行くかだけ教えてください」
マルセルはドナート達に背を向ける。
「バニシュエルの森だ。あそこには魔獣もいるからな。痛みをこれ以上味合わなくて済むだろう。生き残れるかは運だ」
マルセルが救護室を後にすると、膝をつき顔を青ざめさせたドナートの背に、手を添えるリベリオの姿があった。
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