1人が本棚に入れています
本棚に追加
馬の蹄の音が遠くに響いていく。凶悪と言われる森で一人にされてしまった。だが、本来なら感謝しなければならないのであろう。
自分を助けようとしてくれたドナートごとその場で斬り伏せられていてもおかしくはない。
不器用ながらに布を冷やしてくれたり、暖の取れるよう、薪に火をつけてくれたり、この短剣を残してくれたのは、マルセルという男の優しさだろう。
少年は痛む目を押さえながら、起き上がる。
ここにいたらすぐに死ぬのは分かっている。分かってはいるが、動く気力はなくなっていた。
男爵家の五男に生まれ、田舎貴族であるため金もない質素な生活をしていたある日、5歳になった少年は王子に見た目が似ているという事で王族に買われた。名もその時失った。
それからは影としての教育、剣術、魔法、教養などを身に覚え込ませられ、此処まできたというのに、全てを今日失ったのだ。
エミリアンの声すらも聞こえない。泣きたいのは自分だ。影としてそばにいる事が多かったエミリアンは、唯一の心休める友人と言っても過言ではない。
また、エミリアンもそう思っていてくれていたと感じている。
「生き残れるかは運か……」
正直死んでも別にいい。一番大事な人であったエミリアンを亡くしたのだから。
「全く、マルセル様の魔力を感じたと思えば、お前は誰だい?」
沈黙が生まれる。声のする方を見上げて見れば、灰色のローブを来た人がいる。全く気配がしなかった。フードの中からは美しい銀色の長い髪が一房出ており、風で揺れている。
名前はあったはずだが、もう呼んでくれる存在がこの世にいなくなったからか、覚えていない。それとも怪我をしたせいか。
「僕は……分からない。ただの影だ」
「影? 名前はないのかい」
フードを外せば、その容姿に釘付けとなる。20代前半だろうか銀色の長い髪に翡翠色の目をした女がいた。
——ああ、大事な存在だった彼と同じ目の色をしている。
自然と滴が頬を伝う。女は頬を伝う滴を見れば、顔を背けて森の方へと背を向ける。
「こんなとこにいればすぐに死んじまう。生きたいならついてきな!」
魔獣に喰われるのか、凍死するのか分からないが、どうせ死ぬなら今でいい。
後を追うのも悪くない。そう思い短剣に手をかけ、鞘から刃を出す。
刃先がきらりと月の光を反射して、自分の顔を照らしてくる。右目にはもうその光すら受け止められないのが分かった。
目を瞑り、刃を自分の喉元に向けて、一気に突き刺す。
短剣の刃先からは血が滴り落ち、ポタポタと服に染み込んでいく。
だが、少年の首には残念ながら、痛みは走らなかった。女が短剣の刃を握りしめ、少年を睨み付けていた。
「全く、私の前で死ぬのはよしなよ。この短剣は没収だ」
少年は短剣に込める力を抜き、女に短剣を渡す。
手に痛みはあるだろうに、顔色ひとつ変えず、持っていた布を手に巻きつけている。
「ほら、おいで。その目に、マクセル様がここに来たこと、何かあるんだろ。しばらくは面倒を見てやる」
怪我をしていない手を差し出され、手を繋がれると、少年は毛布を抱きしめ、女の手に導かれていった。
最初のコメントを投稿しよう!