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「……何?」
闇の中、おずおずと投げ掛けられた問いに、壁にもたれていた大きな影の人物が答える。
それは低く静かだが、紛れもない女性の声。
先に声をかけたのは、まだ若い、少年の声だ。
不機嫌そうな空気を察し、男が慌てて言葉を継ぎ足す。
「あの、お、お嫌なら、いいんです! 別に、でも……オレ、こうしてじっとしてるのって、苦手っていうか、その、な、慣れてなくて、それで、その……。けっ、桂花様さえよかったら、ここに来るまでの旅のお話しでも、して、いただけたら、なー、って……」
「……」
だんだん小さくなっていく声に、影は答えない。
『桂花』
と呼んだその人が、本当にここに居るのかどうか、それすら怪しく思えてくる。
肩越しにちらりと後ろを覗いても、そこに見えるのは夏の夜の闇と、闇に溶け込んで、なお暗い影ばかり。
その人の存在を確かめたいと思っても、もう一度声をかける勇気は、男の中のどこにも残ってはいなかった。
(だめか……)
肩を落とした小さな影が、詰めていた息を静かに吐き出す。
「ふー…」
わかっている。
今はのんきに話などしている場合では、ない。
暗闇の中、気まずい思いをしながらも、なぜこうして二人きりでいるのかーー。
「物見遊山の旅をしてきた訳ではない。話せる事など、あまりないぞ」
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