キャラは勝手に動くのか

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 先日、小説家になろうエッセイ日間ランキングを眺めていたら、書いているキャラクターは勝手に動くか作り込むかというアンケートの結果&分析(考察)を見かけて読んでみました。3年くらい前の投稿でした。  ほほう、キャラが勝手に動く人のほうが多いんですね。  「勝手に動く」発言は、文字書きさんより漫画描きさん、単発さんより連載持ちさんからよく聞く(見かける)気がしますねぇ。  それなら、私の場合はどうだろう?  ちなみに私は、なんとなくで創作を始めて1年ちょっとのひよっこで、短編、短編集、中編だけ書いてます。なんとなくで始めてしまって「こういうストーリーを書きたい」という欲求が薄めなので、ちゃんとストーリーが展開する長編を書くの苦手です。  まず「読むとき」ですが、描写(文体やチョイスされた単語)が身体に馴染めば絵や映像や音がつくことは多いです。ジャンルを問わず。  なんだかんだ言っても書籍化作品は脳内で映像にできる作品が多いですね。  私の場合、エッセイや時代小説などは実写や映画のカメラ割りに近いものになることが多く、恋愛ものはアニメっぽく、ファンタジーは映像より漫画っぽく見えることが多いです。  ですから、漫画化・実写化・アニメ化で「イメージと違う」のはあるあるです(笑)  そこでキレてたら何も読めないので、原則スルーです。自分にとってのベストが他の人にとってのベストとは限りませんし、様々な制約もあるでしょうし。  メディアミックスで作られた世界観自体が崩壊してたら、スルーはかなり難しいですけど、時間が経てば許せるようになることもあるので、その場合はそっ閉じして次なる偶然の出会いで印象が変わるのを待ちます。  それでは「書くとき」はどうか。  まず私は基本的に、自分のイメージに合わせてキャラクターや景色が自動再生される状態を「キャラが勝手に動く」、自分なら選ばないワードや大胆行動がポンと湧いてくる状態を「キャラが予想外の動きをする」と表現することが多いです。  それを前提において、創作時は「キャラが勝手に動く」と「そんな能力ないから考える」の間をウロウロしてる感じでしょうか。それで、ときたま「キャラが予想外の動きをする」がひょっこり出てきます。  短編のときは、パッと思いついたネタを活かすにはどうすればいいか考えて、ひねり出したネタを繋げていくことが多いです。  発想法のブレーンストーミングとKJ法の併用に近いですね。  中編のときは、ブレストとKJ法に、マインドマップが加わることもあります。  そうやって話の種をたくさん蒔いておいて「こういうものを書きたい」というなんとなくの流れと外したくないポイントさえ押さえれば、登場人物のキャラ設定はだいたいできているので、セリフや動きはそれなりにするするっと勝手に出てくるし当初の見込みを超えた行動もしてくれる、という感じになることが多いですね。  だから「どのルートを選ぶかは自由だけど、決められたチェックポイントをクリアしてゴールを目指す」オリエンテーリングを脳内でやってるみたいなものかなぁと思います。  あるいは人様のブログで見かけた「バトン」の回答を読みながら「私ならこうなるなー」「このキャラならもっとこうしそうだけど……」と考えていた感想の具現化に近いですね。  (もしバトンが一般語でなかったらごめんなさい)  ただ、この方法でするっと出てくるものをそのまま使うかと言うとそうでもなくて。  冗長なだけということも少なからずあるので必要ないところを切り取ったり、「は?」って思われそうなところに捕捉説明を入れたり、情景描写を豊かにしたり、時系列を整理したり。  そこはキャラは勝手に動かなくて、かなり理詰め。「自分で考える」になります。  ざっくり作ったプロットの時点で「このキャラなら……」や「こういう動きをしてほしいからこんなキャラにする」と想定してるので、トンデモ行動をとられることはあまりないですね。  そのへんはきっちりまとめてくるプロの役者さんのアドリブとかエチュードを眺めているような感覚です。  そうそう、TRPGは「キャラがめちゃめちゃ立ってるラノベの二次小説をサイコロ振って/カード引いて作ってみた」パターンだとキャラが勝手に動くのに近い感覚になるかもしれません。  参加者が世界観やキャラクターを共有できている状態でするゲームになるので、考えてるけど考えてない状態になるというか、「そのキャラっぽくて面白い」という理由だけで普段の自分からは絶対出てこない「おーっほっほっほっ」なんて高笑いが当然のように出てきたり、「なぜそこに行くーーっ!?」みたいな行動を選んだりするので。  1990年代後半は、そういうのをノベル化したものとか、けっこう出てましたよね? カドカワや富士見ファンタジアのアニメ化したラノベが多かった気がします。  原作のキャラが振り切ってる上に声優さんのキャラ付けが上乗せされてて、その作品が好きな人なら誰でもそれっぽくできるし、さほど似てなくても脳内補正が容易だったからでしょうけれど。  話がだいぶ逸れましたね。失礼しました。  私の場合、書くこと自体に忌避感や苦痛を感じることはほぼありません。  レポート的なものや考察を書くのもわりと平気です。  内輪で使う手順書や教材のようなものもいろいろと作っていたので、説明用の描写をとことん考えるという作業にも慣れているほうだとは思います。  ただ、自分の空想を形にする能力と経験が圧倒的に足りない。  想像すること自体も不足していれば、想像力の産物に肉付けして一本のストーリーを作り上げる経験も足りない。  そもそも、自分の想像したものを形にしたいという欲求が足りない。というか、お仕事するうちに褪せてしまったのかも。  だから私の脳内映像は、シミュレーションの域を出ないものがほとんどなのかな……とも思います。  筋の通ったストーリーを一冊分十万字も書けること。  十万字という文字数でまとめ上げられること。  脳内映像のノベル化にせよ理詰めの文章にせよ、それほどのボリュームのアイディアが浮かんだということですから、それだけでじゅうぶんすごい! と、私は思うのですけれどね。
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