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七月になると京では六道珍皇寺や千本閻魔堂などで、盂蘭盆会に先祖の御精霊迎えが行われる。六道参りと言われ、先祖の霊が彼岸から戻る時に通る六道の辻に迎えに行くことが始まりとされている。六道珍皇寺や千本閻魔堂は、京の三大埋葬地の内の二つである鳥辺野と蓮台野の入り口にあり、まさに彼岸と此岸の境界地でもある。そこで、それぞれの家では報恩供養が行われ、最終日には送り火を灯され御精霊を彼岸へと送り出されることになる。
野盗に襲われ数か月前に死別した両親や祖父、使用人の霊を迎えるため、弥兵衛は六道珍皇寺に向かった。京へ登って来た時に渡った鴨川の松原橋を久方振りに東へと渡り、建仁寺の南となる松原通りで弓矢町、轆轤町を過ぎると珍皇寺の門前になる。参拝者で混み合う境内で、高野槙を買い求め水塔婆には記憶していた父親の戒名を書いて貰い、地蔵尊まえで水塔婆に高野槙で水をかける水回向を行った。御精霊の依り代となる高野槙は持ち帰り不動寺の祭壇脇に供え一家の冥福を祈っていた。
七月十六日、炊き出しの慰労もあり不動寺住職から送り火の見物を言われた。勘蔵を訪ねて場所を聞くと、三条橋辺りまで行かないと送り火が見づらいと言われ、そこまで一緒に行くことにした。麩屋町通りを北に向かって歩き出すと、後ろから急ぐ下駄の音が聞こえ小走りに近づく智里の姿が見えて来た。
「うちを置いていくやなんて、冷たいお人どすな。店奥に居てましたら、いそいそと出掛けはるのを見ましたさかい」
「大店の嬢はんを、この前の炊き出しから仰山連れ出しておますさかい。これ以上となると、お叱りを被るかも知れんと考えましたんや」
勘蔵がべそをかくように、言い訳をしている。
「何をゆわはるんどす。うちら三人は一心同体どすがな。これからは気いつけとくりゃす」
一心同体と言う言葉が、大げさに聞こえ二人が可笑しさを堪えている。
「何が可笑しおすんや」
ぷっと怒り出した智里が、足を先に進めた。
「ちょっとお待ちやすとくりゃす」
二人が追いつき、三人となって三条橋の袂まで来ていた。この辺りには旅籠が多く、東海道の終着の地でもある。普段でも人通りが多く、今夕はそれに増して送り火でもあり、橋には人が屯していた。やがて夕闇が訪れ東山如意が岳の大の辺が交差する所に火が盛り、その火が次々に火床へ運ばれて行くと、赤々と大の字が浮かび上がっている。人々がその火に向かって手を合わせ、彼岸へ向かう祖先の精霊に別れを告げている。弥兵衛もこの数日、父や母と過ごしたことに感謝を込め、夜空を染めるように燃える大の字に手を合わせていた。野盗を打ち果たし、今は京で不正を正すこと、人の苦難を救うことに務めている。これが己に対し、父が言い残した言葉だと信じて生きている。これからは様々に困難なことが起きるであろうが、これが己の生きる道と疑う余地はなかった。そんなことを予見しているのか、流れ来た雲の塊を送り火が照らし、暗赤色の色合いを見せていた。
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