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「山鉾は大方見ましたさかい、次は四条河原へ行きまひょか」
勘蔵が鴨川の方向に手を差し伸べている。
「そうどすな、河原を四条から五条へ向かうと帰り道にもなりますさかい」
三人は六角通りを東に向かっている。六角堂の前を通り、更に進むと誓願寺の門前となる。ここは寺町通りと言って関白秀吉が京の町づくりの際、散在していた寺を集住させた所である。この通りを南へ、華やいだ辻々を下って行くと四条通りとなり、ここから東へ進み高瀬川の小橋を渡ると四条河原になる。弥兵衛は鴨川の西堤に立ち川上から川下を見わたすと、両岸の青楼からは店毎に川へ床が設けられ、その延々と続く灯りたるや、かつて田舎で見たことがある尾根に連なる狐火に見えた。河原に目を移すと三条辺りから五条に至るまで床几が連なり、流れに灯りを映しながら宴を楽しむ情景は、京の町衆の粋を凝らした寛ぎの場に思えた。
「弥兵衛はん、狐火やなんておもしろおすな」
弥兵衛の呟きを聞きとめた智里が、鈴を転がすような声で笑っている。
「そら弥兵衛はんは、田舎育ちなんやから仕方おまへん」
勘蔵が弁解してくれているが、やはり片田舎の者にとっては都の雅を程遠く感じていた。三人は、河原に降りて淹茶、香煎、飴、団子、餅、心太(ところてん)等の店を覗き、口咄や物真似の芸を楽しみ、また人の様相も見ながら、やがて五条橋近くで床几の途切れる辺りまで来ていた。
五条橋の橋脚の陰で数人の男が二人の娘を取り囲んでいる。そこに腕を掴まれた娘の叫声が上がった。
「ちょっと、見てきやす」
すぐさま勘蔵が駆け出して行った。
「おっ、相模屋の千代はんに、そっちは出雲屋の佐紀はんにおますな。どないしやはりました」
「我等と暫し酒の相手を頼んだだけに、町人風情が邪魔をすると許せん」
男の輪が解け、一人の男がしかめっ面をして吼えている。
「あー、お武家はんどすか。そやけど、こちらの娘はん方はお帰りの様子で、邪魔をしたはるのはそちらはんやおまへんのか」
「何をぬかす」
男が腰の差料に手を掛けた。
「おっと、抜かはるおつもりどすか」
男に掴まれている手が解かれた娘が、男達の後ろへ離れている。差料に手を掛けている男が、勘蔵にじりじりと迫って来た。
「勘蔵、下がれ」
弥兵衛は叫び声と同時に翻した身で男の懐に飛び込み、抜き出そうとしている刀の柄を手で押さえた。
「何をする。武士の魂に手を掛けるとは」
「こんな町中で抜くと、只では済まぬと思いますが」
「貴様は何奴だ」
「とある寺に勤めておりますが」
「何、唯の寺男か。先の町人と言い、我を虚仮にするのか。下がれ」
「そこまで言われるのなら、手を引きますが」
弥兵衛は、柄を押さえていた手を放し、数歩後ろに下がった。
すると男が刀を抜き放ち、「無礼打ちじゃ」と叫びながら斬り下げて来た。弥兵衛は何の気なしに切っ先を躱すと、男が柄を持つ手を手刀で打った。刀が一瞬の煌きを残し、河原の小石に当たり金属音を響かせている。二人の娘の叫び声が響き、直ぐに祭りの警備をしている雑色の者達が走り寄って来た。
これを見た他の男達が川下へと走り出し、手を打たれた男も落とした刀を逆の手で拾い上げ走り去った。
「刀を振るのを見ましたが、お怪我はおまへんか。わてらは上雑色松尾家のもんどす」
雑色の者達の中で長になるのか、中年の男が声を掛けて来た。
「大事ありませんが、上雑色の松尾家ですか」
「ご苦労さんどす。こちらは京に来て間もないお人で、まだ事情をご存じおまへん」
弥兵衛の答える脇から、勘蔵が話している。
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