闇の剣士 剣弥兵衛 京の夏越(三)

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 この書付を持った弥兵衛は、一足先に石像寺へ急いだ。その胸裏には、智里と言う娘が何と肝が太く尚且つしっかりとした考えを持っているのかと、流石に洞穴の老人が見込んだ人であると誇らしく感じていた。千本通り。かつては朱雀大路として京の左右を仕切る中心の通りであった。しかし衰退した右京が田や畑に為り変わった今は、京の町中で西端の通りになっている。石像寺は、この通りの上立売りを上がった東側にある。  一条通りを北に越えると西陣の域に入るが、火災もこの辺りから北に広がっていた。焼け落ちて黒こげになった家の柱や家財から、未だ煙が立ちあがり、避難から立ち戻った人々が右往左往している。こんな悲惨な光景を目にしながら石像寺に着いた弥兵衛は、焼け跡に茫然と佇んでいた住職を探し当てた。被災した人々のために炊き出しをすることを話すと、今朝方にうつらうつらしていた時の夢に現れたお方どすなと合点してくれた。大黒屋に手渡された書付を見せると、今どき奇特なお方で正に仏の御心に適う行いと称美された。そこで、この書付は住職からこの地の町代に手渡すと言ってくれた。  境内の燃え跡の片付けもしながら待っていると、昼前に千本通りの南から二台の大八車がやって来た。先に進んでいるのは、大黒屋と書かれた文字が誇らしげに見える一斗炊の釜が三つに味噌樽、塩と梅干の壺、大きな盥などを積んで、大黒屋の半被を着た男が引き手と押手に付いていた。二つ目の大八車には、米俵三俵に野菜と大鍋、他にはお椀や箸などが入った木箱を積んで、長屋の連中が引いていた。 「弥兵衛はん、遅おなりまして、豪いすまんこってす」  最初に着いた大八車でやって来た大黒屋の手代が、嗄らした声で話し掛けて来た。 「急がせて、すいませんでした」 「追っ付け嬢はんも来られると聞いとりますさかい、早よ段取りをしますんで」 「えっ、智里さんまで来られますか」 「そうどす。ゆいだしたら聞かはりませんので」  手代が丁稚二人を使って竈代わりの石を集め出したところで、長屋の連中が引く大八車が到着した。この時分になると腹をすかせた子供達が、大八車で運ぶ米俵を見てぞろぞろと後に付いて来ていた。 「弥兵衛はん、直ぐに米を炊きますさかい」  源七が、大きな声で呼びかけて来た。 「私も米を研ぎます」  長屋の連中が手っ取り早く、次々と釜に米を入れ研ぎ始めている。大黒屋の手代が積み上げた石の竈に、近郊から丁稚が集めて来た木材を入れ、火を起こしていた。 「この分なら、案外早く仕上がりそうどすな」  何時来たのか勘蔵を連れた智里が、袴を穿き、襷掛けをしながら姿を現した。その身形に、炊き出しの手を止めた一同が啞然としている。 「何か、おかしいおすか」 「いえ、大店のお嬢さんが、そないな恰好で来やはるとは差し障りがおまへんか」  源七の言葉に智里の頬が膨らんだ。 「何に差し障るんどす」 「いえ、・・・・・」 「それなら、手を止めんと野菜も切らなあきまへんやろ」 「へい、その通りどす」  米が炊き上がり、じゅわじゅわと釜と蓋の隙間から蒸気が噴き出して来た。寺の参道には子供達を先頭にして、顔や衣服を汚した多くの人々の列が出来ている。そこに炊き上がった釜から盥へと掬い出された米の香りが漂っていた。盥の横には塩と梅干の壺と味噌樽が置かれ、いよいよ米を握ろうと智里と勘蔵に他の二人が座った。 「わても手伝いますえ」  列の中から二、三人の声が上がった。   「それではこちらに来て、お願い致しますさかい」  きりっとした智里の声が、この場を引き締めていた。  塩や味噌を付け、また梅干を中に入れて握った握り飯が、次々と子供達に渡され、続いて小母さんや老婆、それに並んでいた爺様にも渡されている。当座の食事とはいえ、昨晩から何も口にしていない人にとっては、これほど有難いことはなかった。中には弥兵衛や智里に向かって、手を合わせる人も見られた。 「ところで、お宅様方はどこのお人どすのや」  握り飯を手に持って老婆が、聞いて来た。 「私は松原の麩屋町にある不動寺に勤めております。こちらは不動寺の近くにある紙問屋大黒屋のお嬢さんです」 「お寺さんに紙問屋のお嬢さんどすか」  老婆が口の中でぶつぶつと呟きだした。 「お婆さんは、何をゆうてはるんどすか」  智里が、優しく尋ねた。 「丸、竹、夷、二、押、御池、姉、三、六角、蛸、錦、四、綾、仏、高、松、万、五条、雪駄ちゃらちゃら魚の棚・・・、あーやっと出て来よりました。松原は四条と五条の間どすな。わてら西陣に生まれ育ったもんは、祇園会で四条までは行きますんやが、そっから先は知りまへんさかい。わてとこの若いもんに、ようゆうとこ」 「お婆さんは、どちらからおいでどすか」 「上立売りを千本から二筋東に入ったとこで、織元をしとります」 「そうどすか。此度は豪いことどしたな」 「いいや、西陣ではこないなことに何遍もおうておりますさかい。また立派に再興出来ますやろ」 「そうや、そないどしたな。上京、下京の違いがおましても、お互い京に生まれたもんどすさかい力を合わせなあきまへんな」 「若い娘さんやとゆうのに、ええことゆわはるお人どすな。皆さん、わては織元井筒屋の婆どすが、こちらの娘さんは松原の大黒屋とゆう紙問屋から来たはるそうどす。よう覚えておいておくれやす」  婆様が突然大きな声を出して、並んでいる人々に呼び掛けた。人々からは、「おおきに、おおきに」と感謝の言葉に、「おきばりやすとくりゃす」と励ましの言葉が相次いだ。  炊き出しをやっている一同は、額から汗を流し、着ている物にも汗が染みている。にもかかわらず、こんな人々の言葉に目を潤ます者も見られた。
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