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「ねぇ、今夜会える?」
愛人の玲奈からのLINE。
デスク右隅の卓上カレンダーを手に取り、今夜の予定を頭の中で確認する。
赤い丸印。確か、今日は……
急いで、返信をする。
「ごめん。今日はダメだ」
ピロン
「そう……話したい事があったのに」
話したい事?
なんだろう。
でも、今日は仕方ないんだ。
妻の誕生日なんだ。
「本当にごめん。また話聞くから。愛してるよ」
ピロン
「分かったわ。私も愛してる♡」
その返信を見つめると、玲奈の愛らしい笑顔が目の前に咲き乱れ、自然と笑みが漏れた。
会いたいけど、今日は仕方がない。いつも世話になっている妻の誕生日だ。あいつはそう言う事を忘れていたりすると、般若の様な形相で怒り狂う。普段は穏やかな性格なのだが、それは避けなければならないのだ。とんでもない事になる。
「ただいまー」
リビングを開け、キッチンにいる妻に
「誕生日おめでとう」
と白い箱に入ったケーキを渡す。
「あなた、ありがとう」
その笑顔は、今日は特別にキラキラしていた。
機嫌がやけに良さそうだ。鼻歌なんか歌ったりなんかして。
今日の夕飯も特別なものだった。
唐揚げ、ハンバーグ、海老グラタン……
俺の大好物ばかりだ。自分の誕生日で気分がいいからだろうか。
なんか〝最後の晩餐〟みたいだな。
息子も「うわっ!美味しそう!」と喜びながら、口に放り投げていた。
ケーキを食べ終えると、お腹ははち切れんばかりの満腹で死にそうだった。息子は隣の部屋にゲームをやりに行き、俺はソファーに腰を掛けてTVをつけた。
「ねぇ、これ飲まない?」
妻が俺に見せてきたものは赤ワイン。特別な日にだけ2人で飲む儀式みたいなものだ。
「あぁ、いいよ」
妻はニコニコしながら、ワインを開けてトクトクとグラスに注いでいる。今日は本当に機嫌がいいな。何かいい事でもあったのだろうか。
やっぱり、こっちを選んで良かった。玲奈に会いたかったが、怒り狂った妻を宥めるのは本当に大変なんだ。
TVでは2時間サスペンスが流れていた。大きな屋敷に数人の男女が招待され、執事がワインを持ってきて……
「はい、あなた」
ドラマのタイミングに合わせて妻がグラスを渡す。
「ありがとう」
「今日、私は生まれ変わるの。カンパーイ!」
はてなマークを浮かべながら、俺たちはドラマのタイミングに合わせて、グラスをコツンと合わせた。
ワインが喉を通ると「きゃああああ!」と悲鳴が聞こえた。TVを見ると、男が倒れて苦しんでいる様子が映し出される。
あー、よくある毒を盛られるやつか……
そんな事を思いながらグラスを口元に持っていくと、力が入らずグラスを落としてしまった。赤黒い液体がカーペットを汚すのと同時に、俺はその場に崩れ落ちる。
い、息ができないし……
胸が苦しい。体がビリビリ痺れる。
耳の奥底に心臓の音が響く。
朦朧とした意識の中、ぼんやり見えた妻の顔は悪魔の微笑みだった。
あー、そう言う事か。毒だな。
「今日、私は生まれ変わるの!」
さっきの妻の言葉。
俺を殺して新しい人生を始めると言う事か。
「あなた、浮気してたでしょ? そんなのとっくに知っていたんだから!だから、私も腹いせに浮気してやった。その若い男がいい男でさ、ハマっちゃったのよね。だから、私はその人と一緒になる」
おい、待て、待て。確かに俺が悪いが、そんな事言うなら、俺だって玲奈と一緒になりたかったよ。お前なんか捨てて。
心臓の音が小さく、小さく、なっていく……
息子がやっていたゲームみたいだな……
残りのHPが……
バン!
息子が勢いよく襖を開ける。
「父ちゃん!父ちゃん!勇者のHPが残り1になっちゃったよ!助けてよ、ねぇ!!」
助けれないな、ごめん。
父ちゃんが今、その状態なんだ。
ごめんな、息子よ。
ゲームは魔法で回復させたり、コンティニューができるだろう?
父ちゃんは、できない。
できないんだ。
息子の焦っている顔を見つめながら、瞼をゆっくり閉じようとしたら……
耳元で声がした。
「まだ、やり直せますよ!」
え?
「一度だけチャンスをあげます!」
え? チャンス?
「あなたは、いつに戻りたいですか?」
小さな小さなおじさん天使が、俺の目の前に現れた。
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