第三章 資本主義の未来

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 万福は、客人に手伝ってもらい、大急ぎでパーティー用のテーブルや椅子を庭に並べて、パラソルを立てた。これだけの人数を招き入れる大きさの部屋はさすがにない。雨上がりで心地よい風も吹いている。庭でおもてなしするのも悪くないと思った。  麗華が、玄関から顔を半分出してこちらを伺っている。手招きしても、声をかけても、微動だにせず、かれこれ15分もこの調子だ。肩口からは猟銃の先端が見えている。やれやれ……万福は痺れを切らし、客人に侘びて、麗華を迎えに石畳をはるばる玄関まで歩いた。 「敵を招き入れるとは、どういう了見なのよ!」麗華は怯えた目で、万福を一喝した。 「敵ではありませんよ。皆さん、麗華様といっしょに働きたいそうです。押切さんの本を読んで、麗華様の新しい金融ビジネスに可能性を感じたと言っています。全員、レイカ・ホールディングスへの転職希望者です」 「転職希望……」麗華は、きょとんとしている。 「証券会社や銀行、ヘッジファンドにお勤めの方がそろっています。即戦力になりそうですね」 「愛ちゃんの本で、こんなにたくさん……」 「だから言ったではありませんか、麗華様はヒロインだって。みんなの憧れなのですよ、あなたは」 「変女じゃなかった……」 「最後まで読みましょうね、押切さんの小説を。僕は、飲み物とお菓子を用意してきますので、麗華様は、接客をお願いします。あっ、下着姿はだめですよ。きちんとした服を着てきてくださいね 「無理、無理、絶対に無理よ……」麗華が、ぶるぶると首を振った。 「人手が足りないのです、レイカ・ホールディングスは。即戦力を大量採用するまたとないチャンスが目の前にあるのに、無駄にするのですか? 麗華、君はCEOでしょ。決めるときはびしっと決めなさい」万福が珍しくぴしゃりと言った。 「な、何よ、意地悪な言い方して! 馬鹿! びしっと決めてやるわよ! 見てなさい!」  麗華がばたばたと二階に駆け上がっていった。そして緑色のパーティードレスで現れた。耳や首にじゃらじゃらと宝石を付けている。どうして、パーティードレスなのかなぁ……まあ、いい。人見知りを抑えて接客をやる気になっただけでもよしとしよう。万福は、麗華から猟銃を取り上げ、服装に関してはコメントせず、送り出した。  万福は、キッチンでレモネードと紅茶、サンドイッチ、焼き菓子を用意しながら、時折、窓から庭の様子を伺った。最初はぎこちなかった麗華が、いまは椅子の上に仁王立ちになって演説している。どうやら客人と打ち解けたようだ。  万福はカートにお茶とお菓子を載せて、庭に出た。麗華の演説は、最高潮に達しようとしていた。 「では、皆さんにはこれから試験を受けてもらいます。期限は一週間。パスしたら採用ってことでいい?」 「もちろんです!」「異議なし!」採用希望者たちが歓声を上げた。  万福は仰天した。まずい。麗華はあれをやる気だ。万福は、自身が受けた過酷な入社試験を思い出した。産業発明機構とトヨマツデバイスに手を組ませ、ファストスター工業の買収をまとめた一件である。孤立無援で案件をまとめるなんて無茶だ。僕は運が良かっただけなのだ。そんな試験をやれば、誰も残らないかもしれない……万福は焦った。  麗華は、涼しい顔で語り続ける。「このリストから、好きなお題をひとつ選んでね。ドラゴンファンドの連中がサポートしてくれるから大船に乗ったつもりでやりなさい。あっ、その前に、私のことは『麗華様』と呼ぶこと。当然でしょ、私は、この会社で一番偉いのだから」 「異議なーし」転職希望者たちは麗華からリストを受け取り、これがいい、あれがいいと熱心に相談し始めた。リストはもちろん、ドラゴンファンドの前CEO、ハリス・バーグマンが手掛けたM&Aや投資案件の数々である。違法行為を暴いて案件をやり直し、ドラゴンファンドと儲けを折半する計画だった。あろうことか、麗華は、リストを採用試験のお題に使って一気に片付ける暴挙に出たのだ。 「麗華様、質問があります」採用希望者の一人が手を上げた。 「どうぞ」 「ほとんど海外の案件ですから、現地に行けってことですよね。旅費や現地での滞在費はどうなるのでしょうか……」  麗華がにやりとした。「見事に案件をまとめた人には、成功報酬を上乗せして支払うわ。できなかった人は、自腹で旅行したと思って諦めるのね。言っておくけど、うちで仕事をしたいなら、働かされているという意識じゃだめ。これがやりたいという希望と、ぜったいやってやるという強い信念が必要なの。ここにいる万福を見習いなさい。私のダーリンはどんな難題にも立ち向かうのよ。作戦も事前に相談するといいわ」  転職希望者の視線が一斉に万福に注がれた。皆、きらきらした良い目をしている。だが、彼らは、事の重大さに気付いていない。波瀾万丈なのだよ、この試験は。君たち、本当に押切愛の本を読んだの?…… 万福は、声を大にして注意してやりたかったが、レイカ・ホールディングスにとっては今、即戦力の大量採用が死活問題なのだ。こうなったら、彼らを陰で支えて全案件を成功させるしかない。全員を合格させてみせる。これは、神が与えた試練だ。絶対に乗り越えてみせるぞ……。万福は、万感の思いを込めて叫んだ。 「皆さんを絶対に合格させてみせますから! いっしょに頑張りましょう!」  言ってしまった。もう後戻りはできない……。万福は、救いを求めるような視線を麗華に送ったが、麗華は満足そうにうなずくだけだった。ふと、麗華の足元に小さな虹が現れた。虹の橋は美しい弧を描き、空へと伸びている。 「万福、吉兆だ……」 「はい」 「稼ぎまくるぞ」 「えっ……」  まずい……。資本主義最強の堕天使は、多くの援軍を得てすっかりパワーアップしてしまった。だが、単なる金儲けはもうさせてはならない。麗華は、次世代の金融市場の希望なのだ。麗華に暴走を許して、希望の灯を絶やしてはならない。麗華という「暴れ馬」を乗りこなすのは大変だ。側から見れば、馬上の万福が振り回されているようにしか見えないかもしれない。それでもいい。傷だらけになりながら、一つ一つ結果を積み上げていこう。その先にはきっと、もっと大きな虹がかかるすばらしい世界があると信じて。 ☓☓☓  その頃、押切愛は、となる田舎道を歩いていた。不思議な果物を育てる農家の噂を聞きつけて見学に来たのだ。次回作の予感がしていた。空振りでもいい、私にはハサミがある。食いっぱぐれることはない。おもしろいドラマに巡り合うまで、さすらいのヘアメイクとして生きていく覚悟だった。 「麗華ちゃん、怒っているかな……追っ手を差し向けられたらやっかいだな……」愛はふと、軽井沢へと続く空を見上げた。山際にかすかに虹が出ていた。「おっ、吉兆だ。神谷さんが何とかしてくれたな、さては」愛は、とことん楽天家だ。  いつか、ほとぼりが冷めたら、麗華と万福に再会しよう。その頃は、かわいい赤ちゃんが生まれているかもしれない。あの二人の子供なら、きっと楽しいドラマを見せてくれる。麗華劇場の続編を書かせてくれないかな……。愛が自分勝手な夢を思い描きながら田舎道を歩いていると、カエルの大合唱が聞こえてきた。いいね、いいね! 何かおもしろいことが起きそうな予感がして、愛はわくわくした。 (完)
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