第13章 頃合いは、今。なのか

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少し不思議そうにその顔を見上げてるノマドの小さな頭を片手であやすように撫でながら、わたしに柔らかな声で語りかける。 「迷惑に感じることなんてあり得ないって言ったでしょう。君とこの子がこの家に来てくれて、僕がどんなに…。毎晩この部屋で寝てもらっても全然問題ないですよ。とにかく、これからも遠慮は無用です。この子もあなたも、ね」 彼の温かい言葉に感謝しつつ、わたしは夜の居場所を決めるのをそのままノマド本猫に任せることにした。 夕飯を食べたあと、自由に館の中を歩き回ってそのままこっちに戻って来ないこともあればもうこのままここで寝るのかな。と思っているとドアの内側をかりかりし出して向こうへ行って寝るから出せ。と要求してくることもある。 そうやって彼の部屋で寝る頻度がどんどん上がっていって、しまいにはほとんど毎晩そっちで寝ると言っても過言じゃないほどになった。 「すみません、ほんとに。よほど柘彦さんのところが居心地いいのか…。不甲斐ないです。どうしてわたしのとこで寝ようとしないのかなぁ、と」 ノマドが来てるかどうか確かめに行って、そのまま例のごとくちゃっかりコーヒーを招ばれて差し向かいで頂きながら身を縮めて恐縮する。 この子が寝てるとき特にうるさくしてるとか。がさがさ動き回って猫が落ち着かなくなるムーブをするとか、そんなこともないと思うんだけど。 どうしてノマドはこっちにばっか来たがるんだろう。わたし、嫌われてるのか。 ずどんと落ち込んでるわたしの気持ちも知らないで、向かいに座る彼の膝の上でご機嫌ににゃあ、と鳴いてしきりにこっちへ向けてアピールしてる仔猫の背中を撫でながら、彼はおっとりと宥める口調でその台詞に請け合った。 「気に病む必要はないと思います。この子が君のことを一番大好きなのは変わらないんじゃないかな。昼間は誰に言われなくても自分から君のあとをついて回って。姿が見えなくても呼べば聞こえる位置で過ごしているんでしょう。嫌いな飼い主相手にそんなこと、絶対にしないと思うし…。朝は僕が何もしなくても、自分からドアを内側から引っかいて出せ、と主張しますしね。あなたのところへ戻るんだ、って強い意思を感じますよ」 「それは。朝だから猫缶よこせ、って言いに来るってだけでは」 柘彦さんのところには多分ノマドの餌は置いてない、わたしの知ってる限りでは。決まった食事の時間じゃないタイミングで何かを余計に食べさせるとリズムが狂うし食べ過ぎになるから、彼が夜間に餌やりをしてるってことはないはずだ。 いちいち念を押してはいないけど、朝に戻ってきたときの豪快な食べっぷりとノマドが最近特に太り出したって事実がないことを考えると、そこは心配の必要ないと思う。 わたしの自信なげな言い分に、彼は静かに首を横に振った。 「別に餌が目的ってだけで君のところに行くわけじゃないんじゃないかな。だったら朝ごはんを食べたあと、そのまますぐにこちらに戻って来てもおかしくないでしょう。だけど実際には朝にそちらに行ったあとはそのまま一日君のそばで過ごすわけだから。閉じ込められてるわけでも繋がれてるわけでもないんですから、それはこの子の意思でしょう」 「はあ。まぁ、一晩離れていたあとだからか。餌食べたあとも遊べだの抱っこしろだの撫でろだの。忙しい時間帯に結構甘えてきて勘弁して、となりますね」 そういう毎日の習慣になってる。それから夜まで、わたしのあとをついて回るのも。…確かにそうしろって誰も強制してないな。見えないところで寝ていても、大概声の届く範囲だし。 その呟きを耳にして、彼は納得した様子でしたり顔に頷いた。 「そうですよね。やっぱりあなたがこの子のご主人様で、一番の存在であることはこれまでと変わらないんじゃないでしょうか。おそらくですけど、ノマドの感覚としては。夜だけ僕のところに出張してるというか、遊びに来てる。そういう考えなのかもしれません」 「はあ。…そうなのかな」 毎朝かりかり、とドアが微かに鳴ってはいはい。と急いで出迎えると得意満面といった雰囲気を醸し出してただいまぁ。と得意げにアピールする。猫って表情筋もないくせに結構感情が伝わってくるもんなんだな。とわかっていつも感心してる。 「確かに。探検に行って今日もここまで無事に帰ってきたよ!みたいなどや顔で報告してる感じ出してますよね。…一応、本拠地はわたしのとこ。って感覚はあるのかなぁ、あれでも」 半分納得、半分懐疑で独り言のように呟く。話の雲行きを察したのか、ノマドはぽとりと音を立てて彼の膝から降りてきて、テーブルの下からわたしの方へやってきて脚にすりすりし始めた。 全く、調子いいんだから。と内心呆れつつ屈んで彼女を抱き上げる。わたしの膝の上に両脚をついて、伸び上がって口のそばをぺろぺろ舐め始めた。猫の舌って結構ざらざらがすごくて硬い。初めてこれをやられた時は正直びっくりした。 わたしたちの様子を見て、彼の目が微かに和んだ色を滲ませたように思えた。
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