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急にそこだけはっとなった。そうか、未成年のうちは親の承諾なしではまだ結婚できないのか。わたしみたいな両親とも行方不明の場合でもその法律適用されるのかな。…って、心配する必要もないけど。来年の五月までに誰かと入籍したくなる可能性百パーセントゼロと断言できる。
でも一生結婚絶対しない、とまではもちろん言い切れないし。何にしろ、親の監護が必須じゃない事柄が増えるのはいいことだ。進学も就職も、どこに住むのも契約も自分でできるようになる。成人前は一応茅乃さんがわたしの後見を担ってくれてるはずだから。
気がつくと手を止めて考えに耽っていた。哉多にじっと見つめられてるのに気づいて我に返り、慌てて熊手を片付けようと地面から拾う。
「…お前。まさか結婚できるとか思ってないよね?あいつと」
「思ってない。思ってません、絶対に。…誓って本当だから、それは」
目を逸らさずにきっぱりと断言する。わたしの名誉のためにもそれは主張したい。そこまで脳みそお花畑な人間じゃない、絶対に。
わたしの真剣度を見てとったらしく、珍しくシリアスっぽい表情になってたのをふ、と軽く緩めた。
「そんならいいけど。…前にも言ったけど、絶対眞珂には無理だから。変な期待するなよ。悲しい思いするのはお前だからな」
「大丈夫だよ」
身分が違う、立場が違う。あの人はお城のような古い洋館に住む立派な旧家の当主だし、わたしは崩壊家庭出身の宿なしっ子だ。世間的に見ても年齢のバランスを考えても、絶対に越えがたいギャップがある上に。
ここまで一年半、彼の暮らし振りを見ていて実感してるのは。あの人の人生におそらく特別な女性は必要ない。
それどころか他人は誰も必須な存在じゃないんじゃないだろうか。もちろん地球上に他の人間が多数存在していて社会が動いてないと、彼だって生存が難儀になるのは間違いないが、そういう意味でなく精神的に。
他人との触れ合いとか精神的な支えとか、そういうのがないと駄目って感じたことってあるんだろうか。学校だって、学力は充分だったから結局大学まで普通に通いはしたけど。
そこで人間関係がないとつらいとか寂しいとかは、感じたことはあったのかな。今だって、わたしとコーヒーを時折一緒に飲む機会はある。だけどそれはノマドが同じ部屋の中で寝ていると気持ちが落ち着くのと多分そんなに変わらない。
いやそれどころか。わたしより猫さえいれば、彼の人生は問題なく充足していそう。余計な自意識や会話を交わす必要もない分、意外と動物だけの方が。あの人の心を満たすのには向いてるんじゃないのかなって思うことがある…。
そんなことを考えてしんみりしてるわたしの脳内を、哉多のいきなりの台詞が物理に近い衝撃を持って上から殴りつけてきた。
「あいつさ。そろそろ結婚するかもしんないから。急にそういう話になってもショック受けるなよ。もともとお前のものになる男じゃないんだからな。今から早めに心構えしといた方がいいよ」
「…え?」
わたしはぼんやりと奴に目を向けた。けど、視界が変に霞んで何も見て取れない。
あいつって、哉多が言ってるのは。…柘彦さんのことでしょ。結婚?
彼に限って。そんなこと、あるわけなんか。…ないじゃん…。
がんがん鳴る耳の遠いところで奴の声が微かに響いてる。
「やっぱショック受けてる。お前、わかりやすいな。まあ、自分が結婚できない相手でも誰かに取られるの嫌だって思うことあるもんな。芸能人とか、雲の上の憧れの存在とかね」
「…それ。誰から、聞いたの?」
もう確定なのかな。相手はどんな人?柘彦さんが、自分で選んで。この人じゃなきゃって心に決めた女性…、だったら。
わたしはもちろん。喜んで、精一杯祝福してあげないと。…それしかないよね…。
あっさり答える哉多の声がやけにはっきり耳の中で反響する。
「かやちゃんから。…ていうか、そろそろ相手を見つけなきゃって話なんだけどね。もうあいつも三十越えてるんだろ?お館には跡継ぎだって必要だし。このままじゃ能條家の血筋が途絶えちゃうって考えたら、いろんなところに声かけて。もう一刻も早くお見合いの相手を探さないと、って」
「…なんだ。お見合いか」
わたしはすとん、と一気に全身の血が降りてくるレベルで安堵して肩の力を抜いた。
それならそうと言ってよ。結構本気でダメージ受けちゃったじゃん。
「茅乃さんならまあそう言うよね。だけどそう簡単にいくとは思えないけど。いくら彼女がやきもきしたって、本人にその気がなきゃ無理やり結婚させるなんて。現代社会では不可能でしょ。両性の合意が必要だよね?」
そのうちの片方は柘彦さんその人だって考えると。わたしならそんな困難なタスク、とてもじゃないけど達成できる気がしない。
「水飲み場に驢馬を引きずっていっても無理に水を飲ませることはできないじゃない。まあ確かに、茅乃さんならがんがん轡を取ってあの人を引きずり回そうとするんだろうなぁ。…めちゃくちゃ大変な対決になりそう」
気楽に呟く呑気なわたしに、哉多は珍しく鹿爪らしい顔つきを作って言い聞かせた。
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