第13章 頃合いは、今。なのか

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わたしは片手を持ち上げて、肩越しにひらひらと軽く動かして見せて一応の感謝の意を表した。こいつが悪意からこんなことを持ち出したんじゃないことはちゃんとわかってる。わたしみたいなもんが彼から示される好意を勘違いしてとち狂って、無謀な夢を抱かないか懸念してくれてるんだと思う。 例えその代わりに自分を売り込もうとする意図があってのこととはいえ。その気持ちを全面的に否定する気にはなれない。 「心配してくれてありがとね。…だけど、自分のしてることや立ち位置はちゃんとわかってる。思い上がったりはしてないよ、大丈夫。そんなの哉多は気にしなくて平気だよ」 それから答えを聞かずにさっさとドアを開けて部屋の外へと足を運んだ。…ノマド、早く見つけなきゃ。 なんか、うっかり変なとこに足を踏み入れて考えなくてもいいことに思いを致させられかけた。草むらに隠れてた水たまりに足を突っ込んだ気分になって、わたしは見えない泥水を払うように歩きながら靴の裏を床に擦りつけた。 通りがかりにキッチンとダイニングを覗いたけどやっぱりノマドは見当たらない。想定よりだいぶ時間がかかってしまったのでこれ以上柘彦さんを待たせられない、と判断してわたしは急いで四階へと足を運んだ。 多分わたしのことを待ってくれてるんだろうし、一回中間報告に戻った方がいい。それにもしかしたら入れ違いで既にあの子の方が先に彼の部屋にたどり着いてるかもしれないし。 わたしの予想はありがたいことに当たっていた。 こんこん、と控えめにドアをノックするとすぐにノマドを腕に抱いた彼が中から出てきて迎えてくれた。全く罪のない様子で呑気ににゃあ〜、と鳴いてわたしに愛想を振りまく仔猫に本当にもう、心配させて。と改めてちょっと腹の虫が収まらない気持ちになるが。 「すみません、結局入れ違いで。あなたを探しに行こうかとも考えたんですが。この子を置いていくのも心配ですし…」 としきりに謝ってくれるのに心底恐縮する。 「いえいえ、こちらこそ。そもそも迷惑かけてるのはわたしとこの子の方ですから…。柘彦さんはただとばっちり受けただけです。巻き込んですみません。夜はなるべく、部屋から出さないようにと思ってはいるんですが…。どうかすると出て行っちゃったり。外から戻ってこないでそのままこの部屋に来ちゃうときもあって」 彼はご機嫌でごろごろ喉を鳴らしてる仔猫の喉を慣れた手つきで撫でてやりながら温厚な口振りで答えた。 「それなんですけど。僕が迷惑に感じるってことはないですから、無理にこの子を部屋に閉じ込めるほどのことは必要ないのでは。思うんですけど。…たまたま今日は行き違っただけで。基本的にはこの子は、あなたのところか僕のところ以外で夜寝ることってないでしょう?」 わたしは一瞬黙って彼が言い出したことの蓋然性についてしばし考える。…確かに。 最近は以前より夜に出て行く頻度が増えたけど。それでも基本はわたしの部屋で寝るし、戻ってこないときはまず間違いなく柘彦さんの部屋にいる。今日はたまたまわたしの方がひと足先に彼のところに確かめに行っちゃっただけで、探しに出たあとにひょいといつも通りやってきたようだ。今のところどっちの部屋でもない、別の場所でノマドが夜を明かしたことって一度もないように思う。 彼は腕の中の仔猫に視線を落として結論づけるように続けた。 「毎晩どこにいくかわからないようでしたらもちろん心配ですが。この子は僕たちが考えてるよりそこは弁えてるように思います。まずどっちかの部屋で寝る習慣になっているのが間違いないのなら。それはこの子の自由にさせてあげてもいいんじゃないでしょうか」 「それは。…やまやまですが。何だかだんだん柘彦さんのところに行く頻度が増えてる気がして。さすがにご迷惑だろうなぁ、と。…わたしが責任持って飼うって言ってたのに。結局あなたを巻き込んでしまってる気がして」 気が引けて口ごもったけど、彼はわたしの気後れを宥めるように静かに首を振って台詞を押し留めた。 「それは気にしないで。僕は猫が来るのも、あなたが来てくれるのもどっちも歓迎ですから。遠慮は必要ありません。ノマドがしたいようにさせましょう。あなたの方でどうしても困る、ってことがなければ。ですが」 わたしは嬉しいような当惑するような気分で首を傾けた。もちろん、こっちとしては特に不都合があるわけではない。けど。 「…そしたら。しばらくこの調子でノマドに任せて様子を見ることにします。だけど柘彦さん、やっぱり面倒だとか止めてほしいって思うようになったら。もうそれ以上は我慢しないでくださいね。そう言ってもらえればいつでも、この子が夜部屋を出ないようにちゃんと気をつけるようにしますから」 そんなことになればさぞかし毎晩のようにドアの表面をかりかり盛大に引っかいて出せ、とアピールしまくるだろうが仕方ない。わたしもこの子も、ここでのルールに適応していかなきゃ。そもそもこの館にいる正当な権利があるわけじゃない。ただの居候の身分なんだし。 彼は真剣な思い詰めたわたしの顔を見て、珍しく温度の感じられる温かみのある笑みをふわ、と浮かべて仔猫を抱き寄せた。
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