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翌朝、彼女が身を起こす微かな音につられて目を開けた私は、じっと身を横たえて眠ったふりをしていた。
彼女とここで暮らし始めた頃、私は彼女より先に起きて朝食の準備をしていた。
朝ごはんは食べないから起きてこなくていいわよ、と彼女に言われるまで。
彼女は朝食を取らず、長い髪を結いあげ、クリーニングに出したてのスーツを身に纏って部屋を出て行く。
私は眠ったふりを続けながら、耳を大きくしてその物音を聞いていた。
彼女は私に執着されることを好まない。
分かっている。彼女はそういうひとだ。
それでも彼女に吸い寄せられていく心が悲しい。
彼女が部屋のドアを閉め、鍵をかける音を確認してから、上体を起こす。
手首のブレスレットを握り、なんとか心を落ち着けようとする。
彼女はもう帰ってこないかもしれない。
いつも思うことだ。
自分には、彼女を引き留めておけるだけの魅力なんかない。
だから今夜彼女は帰らないかもしれない。本当は今日の仕事だって有給を取っていて、どこかで他の女と会っているのかもしれない。
その女には、あの女神様みたいな微笑だけではなく、様々な感情や情動を見せているのかもしれない。
そう思うとたまらなかった。
心臓が握りつぶされそうなくらい不安だった。
だから、なんて言い訳なのは分かっている。でもだから、だからどこかで女を拾わなくてはやっていられない。
ベッドから降り、シャワーを浴び、服を着替える。
二丁目のレズバーは夜からしかやっていない店が多いけれど、昼間からやっているカフェバーも何軒かはある。そこでナンパでもして女を拾おう。それでホテルに行ってセックスをして、上手いこと行くのならばその女の部屋へ転がり込んでしまおう。
そう思っても気持ちは明るくならない。ぼろぼろ泣きながら髪にドライヤーをかけた。
化粧をするためになんとか涙を止めて、彼女のドレッサーで彼女の口紅を引く。彼女によく似合う赤い口紅は、私が付けると母親の口紅で遊んでいる子供みたいになってしまう。
それでもそのアンバランスさが一部の女に対して独特のフェロモンを放つことを、私はもう知っている。
涙で少し滲んだマスカラを指先で整え、部屋を出る。
週に一度くらい訪れているカフェバーには、見慣れた女はいなかったけれど、しばらく一人でコーヒーを啜りつつ店内にぱらぱらいる女たちを物色していると、その中の一人が私の向かいの席に急にドスンと腰かけてきた。
「お久しぶりです。」
その女が、怒りのこもった口調で言った。
私はその女が誰だか分からないまま、久しぶり、と笑顔を作って見せた。
「東原莉々子です。」
リリコ。その名前には聞き覚えがあった。私が先週引っかけた女だ。
私はにこりと作り笑いを大げさにして、どうやって目の前の女の部屋に転がり込もうか思案し始める。
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