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亜美
一緒に暮らしてる子がいるの。
そう彼女に言われたとき、私はホテルの部屋の真ん中に裸で立っていて、彼女は少し離れたベッドに腰掛けて私を見ていた。
私の目は完全に濡れていて、それは身体の方だって同じことで、彼女にだってそれが分からなかったはずはない。
卑怯なタイミングだったと思う。
そんなことはどうだっていい、と、私は言った。そう言わざるを得ないタイミングだった。
それきり私は、彼女が終電で家に帰っていくのを止められない身の上になってしまった。
仕事終わりに待ち合わせて入った、いつものホテル。
セックスが終わって、寄り添って眠っている時間が私は一番好きだ。
けれどその時間にはすぐに終りが来る。
彼女が静かにベッドから身を起こし、白い床に滑り降りる。
待って、と、私は手をのばす。
「帰るの?」
「ええ。」
「どうしても?」
「家に野良猫が一匹いるから。」
野良猫。そう称されて、彼女の部屋にいることが許されている女が、私は死ぬほど憎らしい。
ねえ、待ってよ、と、彼女の白い背中にすがる。女の人と付き合ったことなんてなかったから、私には彼女の引き止め方がよく分からない。いつだって。
「今日だけでいいから、泊まっていこうよ。」
何度目だかもう知れない誘いに、彼女はやはり頷いてはくれない。
「泊まれないわ。悪いけど。」
彼女の声音はいつも冷たい。氷のようというよりは、流れ続ける水のようだ。
見ている分にはひんやりと美しいけれど、指先を付けてみるとその冷たさに驚く。
その冷たさを知ってしまっているから、どうして、と追いすがることが私にはもうできない。
せめて一緒にホテルを出よう、と、大急ぎで身支度をする自分が情けなくなる。
身支度が終わり、ホテルから駅までの道のりを二人で歩く。
嫌に明るい駅の改札を通り、わたしは一番線、彼女は二番線と各々のホームに分かれる。そのときに私が尋ねるセリフもいつも同じだ。
『家に行ってはだめ?」
すると彼女は完璧に美しいいつもの微笑で、だめよ、と明瞭に答える。私はそれ以上食い下がれない。彼女の微笑が美しければ美しいほど。
彼女の『野良猫』を見てみたい気持ちと、見てしまった時に自分がどうなってしまうかわからない不安が、いつも胸の奥に棘のように刺さっているのだ。
「じゃあ、ここで。」
彼女が左右対称に唇の端を落ち上げたまま、私に向かって短くそう言う。
すると私は弾かれたように頷き、ホームに向かう階段を下る。
いつもそうだ。微笑一つで私は彼女のいいようにあしらわれてしまう。
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