光の中へ

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◆ 光の中へ ◆ 全身を強張らせて緊張し、私はまだ警戒していた。 「いいぜ、おっさん。眼を開けな。」 若者の声がした。恐る恐る、眼を開ける。 「此処は・・・」 私は、光の中にいた。公園に射し込んでいたあの光の中に。 光の向こうに、若者にいたぶられている私がいた。時間が巻き戻され、若者の世界であるこの公園に戻った私の意識が、光の中からその様子を眺めていた。 「オッサン、あんたが、ついさっきまでいた世界さ、憶えてんだろ。」 「勿論、憶えてはいるが・・・この光の中は・・・」 私は無意識に辺りを見回していた。小枝子の姿を捜し求めたのだ。だが、光の中のどこにも小枝子の姿は見つけられなかった。 「此処は、妻のいる世界じゃ・・・」 「悪いが違うね。この光は、生者の世界に繋がってる光さ。」 私に答えている若者の姿は見えず、ただ、声だけが光の中で響いていた。 「じゃあ、君が言っていた、妻の死後の世界だというのは・・・」 「おいおい、俺は、そんな事言ってないぜ。」 「いや、確かに君は私に言った。君をもっと楽しませるために、私と妻の二人を同時にいたぶる事でより楽しめるように、妻の死後の世界を此処にリンクさせたと。私には見えないが、この光の中に妻がいると。」 「それを言ったのは、俺じゃないな。」 「いや、確かに君だ。あそこで私をいたぶっている君だ。」 若者の声が笑っていた。 「あいつか?あれは俺じゃない。」 「君じゃない?・・・」 「ああ、俺じゃない。」 私は混乱した。 「何を言ってるんだ・・・あそこで私をいたぶっているのが君じゃないとしたら、あいつは、あの残忍な君はいったい誰なんだ!」  訳のわからなさに、思わず私は叫んだ。 「そう、興奮すんなよ、オッサン。まあ、黙って見てなよ、この光景を。そしたらすぐにわかるさ。」 私は苛立ちを感じ始めていた。訳がわからない上に、この若者にいたぶられている自分自身を今こうして改めて見せられ、いたぶられていた時に感じていた、恐怖と絶望感と怒りのすべてが蘇り出して来ていたからだ。 「これも、さっきとはやり方を変えたいたぶりか!」  堪らず、私は怒鳴った。 「フンッ、あんたのようなオッサンをいたぶる趣味なんか、蚊の糞ほども俺にはねえな。嫌いなんだよな俺、オッサンの類って。ゴチャゴチャ言わずに、いいからまあ、黙って見てなよ。」  含み笑いの混じった声で、若者が言った。 私は奇妙な感覚に包まれていた。若者が言った事をまったく理解も納得も出来なかったが、確かに違うのだ。 今私に語りかけている若者の声は、その言い回しも、我雑さも、すべてがさっきまでと同じなのに、何故かその響きには、あの狂気も、ギラつきも感じられなかった。 認めたくはなかったが、私はその奇妙な感覚から逃れられなかった。 光の中に、若者の押し殺した笑いが漏れた。私の混乱ぶりを面白がって笑っている若者がとても腹立たしかったが、私にはどうする事も出来なかった。 仕方なく、私はその腹立たしさに耐えながら、若者に言われたままに黙ってさっきまでの私と若者を眺め続けた。 しかしその光景は、自分の実態はこの光の中にいて、ただ時を巻き戻しただけの過去の光景を見ているだけなのだとわかってはいても、今この時も、実際に恐怖と痛みを味わいながら耐え難い屈辱と怒りを感じているような錯覚を覚える光景だった。 「ほら、おっさん、ここからが忘れもんだぜ。しっかり眼を開いて見てなよ。」 若者の声がした。 体の自由を取り戻した私が、ベンチから起き上がって若者と揉み合っていた。楽しみを奪われた悔しさに、若者が涙を零し始めた。 ― ざまぁみろ、いい気味だ ― 私は心の中で思った。 若者が捨て台詞を吐き始めると、私の体が少しずつ透明度を増して行き、そして消えた。私は助かったのだ。そして、妻の小枝子も。 若者は一人、公園に残り立ち竦んでいた。
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