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後編
刃を後方に振り払った反動で加速をつけて、下方から剣先をすくい上げる。
はなから、鬼の命を断とうなどとは思っていない。
人外の妖力を持つ異形の魔物に、いかなる剣術も及ぶはずがないと、サムライは見極めていた。
―――ならば、脛のスジに一太刀……それだけで良い。
鬼の足さばきをわずかでも封じ込めることができれば、そのスキに若君を抱えて山をかけ下りれば良いのだ。
それだけで、良い。
それで、サムライは、自分を蔑んできた家中の者どもを平伏させて、なにより、素直で愛くるしい嫡男を目に入れても痛くないほど溺愛している主君に対して大恩を売ることができるのだから。
鬼は、ピクリと片方の眉を吊り上げてみせたものの、しかし、一歩も身を退けようとはしなかった。
サムライと鬼の対峙する立ち位置には、ずいぶんな距離がある。
サムライがいっぱいに腕を伸ばしたとしても、大刀の切っ先は、鬼の皮一枚をかすめさえしないだろう。
鬼は、それを瞬時に悟り、余裕シャクシャクと太刀を振り上げた。
それを見て、サムライは、ほくそ笑む。
―――御当家の剣術指南役を仰せつかったおりに主君から賜った名工ムラマサの一振り……しかし、他ならぬ主君の一粒種を救い出すためならば、鬼の足に投げつけざま捨てて置いていったとしても、不心得とは咎められまい。
サムライは、柄を握った手の内をスルリと滑らせ、今しもアヤカシ斬りの大刀を鬼の足元に向けて放りつけようとした。
だが、その刹那……サムライの胸中に、一縷のためらいがよぎった。
突然、サムライは思ったのだ。……恥ずべき人外の身でありながら、この鬼は、なぜ、かくも屈託なく鷹揚な笑い声をあげることができるのだ? ……と。
……異形のアヤカシと忌み嫌われて、人目をはばかり山の奥に暮らす鬼と。
……類まれな容貌により出自を怪しまれ、理不尽な姦淫と侮蔑で踏みにじられてきたサムライと。
考えてみれば、実に良く似た境遇ではないか?
それなのに、……まっとうな人の身であるサムライは、この異形の人外ほどに無邪気に笑うことができない。
己を嘲弄した輩を見返すために より高い地位と名誉を得ることだけに、ひたすらに暗い情熱を傾けて生きているサムライには、鬼の稚気に満ちた笑顔が、ひどく不可解で疎ましかった。
―――私の生涯は、卑しき人外のアヤカシにももとるというのか……?
サムライは、そう自問自答した。
そして、どうしようもなく鬼が面憎くてたまらなくなった。
―――このまま脛ひとつに傷をつけてやったばかりで別れるのは、あまりに惜しい……と、きつく唇を噛みしめるほどに。
「……手を抜いたろ、アンタ?」
鬼の声は、たいそう低く、不機嫌に聞こえた。
だが、……サムライの尻の谷間を撫でる鬼の剛直は、炎の中で打ち磨かれる最中のハガネのように危うい熱さと硬さで丹念にほぐし続け、尖端からはとめどなく透明な粘液をシタタラセた。
「何の……ことだ……?」
サムライは、鬼の引き締まった体の下に組みし抱かれながら、あえかな吐息まじりに問い返す。
蜜を溶かした琥珀の瞳が、蒼白の望月を照り返して朧に霞む……
あまりに清らな輝きが、鬼の欲望をむしろ荒々しく急きたてる。
侵しがたく清らかに澄みわたって見えれば見えるほど、滅茶苦茶に汚して蹂躙したくなるのは、人外のアヤカシの性なのか。
それとも……
鬼は、ゴクリとノドの奥を鳴らし、サムライの衿の合わせを両手でつかみ、強引に割り開くと、
「どうして、あのまま刃を振るわなかった? 急に怖気がついて戦う気が失せたとでもいうのかよ? それとも……本当は、こうしてオレに抱かれたかったのか?」
語尾は自嘲的に吐き捨てながら、透き通る白い肌に唇をぶつけてムシャぶりつく。
サムライは、「くぅ……っ」と短い喘ぎを漏らすと、しなやかな背中を思うさま反り返した。
鬼は、月影に蠱惑的な陰影をさらすサムライの鎖骨の窪みに、思うさま接吻けた。
ゆるぎなく鍛錬の行き届いているのが明らかな、寸文の無駄のない筋肉をまとった痩躯だが、その肌はことのほか柔らかく、触れる指と唇に吸い付いてスガってくるような淫靡な官能を匂いたたせていた。
サムライは、再び、柔軟な背中を落葉の上に跳ね躍らせて、
「しょせん、……人は、鬼には、かなわぬもの」
と、むせぶようにつぶやいた。
鬼は、黙って、吸い付いていた唇を胸元に滑らせ、桜色の控え目な隆起に厚い舌をからませた。
「……っ!」
サムライは、けぶるような長いマツゲをふるふると震わせながら、手慣れた愛撫に巻き込まれて官能の渦にさらわれまいとこらえつつ、ギリリと奥歯を噛みしめてから、
「私の身は、何をされようともかまわぬ。煮るなり焼くなり好きにすればよかろう。その代わり、若君には指一本触れないでくれ……後生だから」
と、切なげにうめきながら、ゆるりと首をかたむけ、闇に沈む林の繁みを気だるく見やった。
カエデの古木の根元に所在無くしゃがみ込んで、鬼とサムライの情交を呆然と見つめていた若君は、華奢な体をビクリとすくませた。
―――美貌のサムライが、主君の嫡子たる自分を鬼の魔手から救うために、その身に淫らな凌辱をあまんじている……
若君の無垢な幼心は、ガンジガラメに縛られていく。
『恩義』という名の重い枷に。
そして、まだ性の衝動を知らなかった下肢の奥に、生まれて初めての疼きをもどかしく感じて、戸惑い、焦り……
「……こんなチッポケなガキ一人を守るために、勝負を捨てたのか、アンタは?」
鬼は、苛立ちの鬱憤を晴らすかのように、投げやりな笑い声を闇に飛ばした。
「くだらねぇ! つくづく、くだらねぇな、"お武家"ってヤツは」
サムライは、闇の中に揺れる若君の可憐な瞳をハッキリと意識しながら、切なく嗚咽して、
「この命に代えても、大切な若君をお守りする。それが、私の宿命……」
……その言葉が、若君の純真な魂をトリコにするであろうことを存分に知り尽くしながら。そう言った。
鬼は、笑った。
どこまで見透かしているものやら知れないが……闇のしじまの中で、ただ薄く笑ったものだ。
「まあ、いいさ。オレは、アンタが気に入った。……さも綺麗なフリをして、こんなに淫らなカラダを隠してやがったんだものな。これだけ仕込みが良ければ、少しくらい無茶させてもらってもいいんだろう?」
淫猥に赤黒くイキリ立ち脈打つ剛直が、サムライを容赦なく貫いた。
一滴の雫すら受け入れられぬほどギュウギュウに隙間なく塞がれた壁に、鬼の情欲がいやおうなく浸み込まされる。
淫靡な衝動を、スリ込まされる、なじまされる、味わわされる……カラダの芯から堕とそうとして……
「アンタも……オレのトリコにしてやる」
鬼は、……しかし、ひどく切迫した声で……言った。
幼い頃から凌辱に慣らされたサムライの肢体は、すでに、官能の凶器に仕上がっていて。
さしもの人外のアヤカシも、焦げ付くような熱をはらみながらウネるようにマトワリ付くサムライの肌に包み込まれて、気の遠くなるような快楽に根こそぎ溺れそうになっていたのだろう。
サムライは、切なくあえぎ、しなやかな身をよじらせ、亜麻色の髪を振り乱し……
―――せいぜいウヌボレるがいいさ……と、胸の奥につぶやく。
さんざん穢されてきた、この身を使って、
―――この厚顔無恥で野放図な鬼を、籠絡してやる……
……サムライは、そう考えていた。
そう……人外の妖力を持つ鬼を我が意のままに操れれば、この世の栄華は思うがままではないか。
自分を蔑み嘲笑ってきた連中をことごとくひれ伏させてやることができる……!
「焦ることはないよ。……秋の夜は、長いから」
サムライは、そうつぶやいて、……そっと目を閉じた。
ぬばたまの闇に、しどけなく絡み合う二つの影……
おののき震える、いたいけな若君には、いずれが人か鬼なのか、もはや見分けがつかず……途方に暮れて、涙ににじんだ蒼白の月を見上げた。
今は昔の、物語。
( 終 )
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました
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