一年目 ~移民の歌~

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 二浪の末に東京の大学に進学が決まった時、周囲のみんなから心配された。ひとり残らず、みんなだ。心配の程度、種類に多少の違いはあれど、どれも同じような内容で、つまり「東京は後藤田がひとりで生きていけるような街ではない」という内容だった。頑張れば反論できるのだろうけれど、その心配に至った過程は千差万別で、とてもではないけれど僕に対処できる量ではない。  詐欺には気をつけろ。  怖い人を見たら迷わず逃げろ。  迷子になったら人に聞け。  どれも小さい子に言うようなことばかりだ。みんな僕をどういう人間だと思っていたのだろう。両親などは「東京は言葉が通じないから気をつけろ」などと、まるで僕が遠い外国にでも行くような見当違いの心配をしていた。  それでも、中には僕が東京に合っているのではないかという意見も少なからず存在した。  「清みたいな真面目一徹でも、東京やったら笑い取れるかもしれへんで。東京にはツッコミもボケもないらしいからな。怖いとこやで」  そう言ったのは幼稚園からの親友の仙田で、その言葉に送別会に集まってくれたみんなは「確かに」と頷き、「それでどうやってコミュニケーション取んねん」「会話も平気で被せてくるらしいな。“間”っちゅうもんを知らんのかいな」「それで“粋”とか言いよるんやて。“イキリ”の間違いちゃうんかいな」などと、出所不明の怪しげな情報を散々僕に吹き込んだ後、「東京、取ったれや」と肩を叩いて励ましてくれた。  僕は別にお笑いをしに東京に行くわけではない。そもそも、上京であって進出ではない。  僕が東京に行くのは、あくまで進学の為だ。しかし、僕のその主張は仙田の「カンパーイ!」の掛け声にかき消された。翌日はみんなで新大阪駅の新幹線乗り場まで見送りにきてくれる予定だったのだが、二日酔いで誰ひとりとして起き上がることができなかった。  品川駅は、なにか世紀末的なものでもやってきたのかと思うほどに混雑していた。これが噂に聞く「通勤ラッシュ」というものだろうか。新しい住居は品川ではないからいいのだけれど、この人ごみの中を毎日歩くことを想像するだけで、東京生活というものが怖いものに思えてくる。  僕が新しく住むアパートは神田という街にある。細かいことを言うと、東京には僕の地元には存在しない「区」なるものがあり、厳密には「神田」という地名は存在しないらしいのだけれど、東京の細分化された地名はさっぱり分からない。大体僕の地元の村は、東京二十三区がスッポリ入るサイズでひとつの村なのだ。東神田、内神田、神田岩本町などなど、申し訳ないけれど、田舎者的には全部合わせて「神田」だ。  実は、神田は東京に住むならここに住みたいと憧れていた街なのだ。様々なジャンルの古本屋がなんと一四〇軒もある日本一の古書街だ。古本屋で本を漁り、カフェで買った本を読みふける。僕が二十年の人生で見つけたささやかかつ最高の幸福だ。おかわり自由のカフェなら最高なのだけれど、カプチーノ派である僕が自由に何杯もおかわりできる店などあるだろうか。少なくとも、僕の地元及びその周辺の街では見たことがない。  東京の割に比較的静かなその街は、僕のような人間が東京暮らしを始めるにはうってつけの街だ。何かの間違いかと思って目をこすってしまうくらい家賃が高いが、東京は大体これくらいの値段が相場らしいし、新宿等の日本にその名を轟かせる都市部の家賃は、僕の実家周辺であれば軽く一戸建てが借りられる金額だ。生きていく、ということは大変なのだ。  神田の、個人的にいいところはもうひとつある。僕が通う大学に非常に近いということだ。神田駅から大学がある御茶ノ水駅は一駅だけれど、僕にとっては徒歩圏内だ。歩いたところで十分も変わらない。毎朝の運動と考えれば最適な距離だ。  路線図を見てみると、御茶ノ水、水道橋、飯田橋。どれも水や川を連想させる地名ばかりで、有事の際は一番に沈んでしまうのではないかと危惧してしまう。地名というのはその土地の特徴から取られることが多かったと聞くから、あながち無駄な心配ではないのかもしれない。そんな考えが頭をよぎり、僕は危惧を通り越して怖くなった。  東京では珍しく、駅まで二十分かかる築三十五年の1LDK、三階建ての木造アパート「モニカ」が、僕の新しい住居である。日当たりが良いとは言い難いが、掃除が行き届いていて非常に綺麗で、築三十五年が嘘のようだ。きっと、大家さんや住人たちが大切に住んでいるのだろう。悪い人などいないに違いない。  「モニカ」は綺麗な割に家賃が安いので、これはいわゆる事故物件でひょっとして幽霊でも出るのではないかという不安もある。僕には霊感的なものは無さすぎるくらいに無いのだけれど、怖い話に対する恐怖心だけは有り余るほどある。ホラー映画は予告編だけでも十分に怖いし、怪談は一話につき寿命が一時間ほど縮む。稲川淳二さんや島田秀平さんは恐怖の大王に他ならない。  見えなくても十分怖い。見えたらたぶん心臓が止まると思う。蘇生する自信はない。ホラー映画を観たり怪談を聞いたりした後はありもしない気配に怯え、風呂で頭を洗う時も目を閉じることができないから、よく目に泡が入って悶え苦しむことになる。それでも目を閉じることが出来ないほど苦手だ。もし僕が目をつむるとしたら、きっと本当に見えてしまった時だけだ。  それでも、ここは紛れもなく、僕の人生における新ステージの始まりの場所なのだ。僕はゆっくりと深呼吸をして気合いを入れ、これから自分の城となる三〇三号室のドアを開けた。八畳のリビングが、無限に広がっていた。
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