一年目 ~移民の歌~

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 いや、そんなことはない。西と東と言えど、同じ国、同じ時代なのだから、同じ文化に違いない。でもウナギは関西では腹開きだけれど関東では背開きだというから、ひょっとしたら・・・・・・。いや待て待て、挨拶に限ってそんなことは・・・・・・。  などと考えていたらもう一度チャイムが鳴った。そうだ。文化はともかくとして、わざわざ挨拶に出向いてくれている人の好意を無下にする訳にはいかない。僕は「今開けます」と言って急いでドアの方へと向かった。  しかし、少しだけれど不安もある。さきほど受話器越しに話した人は、なんだか変な人のような気がするからだ。隣に住んでいると言っていたし、何も怖いことが起こらなければいいのだけれど。  そっとドアを開けると、そこには予想外の風貌の男性が立っていた。綺麗な二重の瞼にスッと通った鼻筋。あくまで自然な感じで軽くウェーブのかかったおしゃれなヘアスタイルが爽やかだ。身長は一八〇センチくらいだろうか、白いロングTシャツに黒いジーンズというラフな格好だけれど、それを着こなすスマートな体型。モデルか俳優だと言われれば納得できる。  僕は思わずあたりを見渡した。さきほどインターフォン越しに話した人物とは思えなかったからだ。でも、他に人はいない。  彼は映画のワンシーンのような爽やかな微笑を浮かべ、言った。  「アアアーアアー」  うん、この人だ・・・・・・。  心なしか、少しイケメンじゃなくなった。  「はじめまして。隣に住む戸田だ」  戸田と名乗る彼が、爽やかな笑顔のまま言った。僕も慌てて「はじめまして」と返したが、この後をどう返していいのか分からず、立ち往生してしまった。彼はそんな僕を微笑みながら眺めている。  「立ち話もなんだし、中に入らないか?」  本来なら僕が言うべきセリフをごく自然かつ当然かのように言うと、戸田さんは僕の横をすり抜けて部屋に上がって行ってしまった。僕が慌てて後を追うと、突然彼が振り向いた。  「さっきも言ったけど、俺は戸田。戸田純正。君は、ゴトウダ君かな。表札にそう書いてあったような気がしたんだけど」  「え、あ、はい。そうです。その通りです」  「珍しい苗字だね。下は?」  「え?下?」  「うん。親につけてもらった名前。たいていは苗字とセットになってる」  「あ、清です。セットで後藤田清」  「そうか。セットの後藤田清君か。よろしく」  セットの後藤田清ではないけれど、とにかく状況が飲み込めない僕の手を、彼は少し強引に握りしめた。力強い握手だ。  「よ、よろしく、です」  東京で初めて出会った人はなんだか不思議な人だけれど、その全身から滲み出る自信と余裕が、僕にはとてもかっこよく思えた。  「じゃあ、清って呼ぶよ。フルネームだと長いからな」  フルネームで呼ぶ、という選択肢は僕の中にはなかったのだけれど、彼の勢いに押されて「そうですね」とだけ答えた。確かに苗字だけでも結構長いので、清が自然と思う。地元の友達たちもみんな「清」と呼ぶ。  「清も俺のことは呼び捨てでいい。戸田でも純正でも。それと敬語はむず痒いからやめてくれ。おそらく同い年くらいだし、違ったとしても、年齢差なんて大したことじゃない」  戸田さん、もとい戸田は持っていたコーヒーの袋を僕に手渡した。淹れてくれ、ということなのだろう。親からの進学祝いがコーヒーメーカーだったことを知っていたかのようなタイミングの良さだ。そう言うと、「引っ越しにコーヒーは欠かせない、という人がそれほど多いということさ」と言った。本当なのだろうか。  本来なら僕が出向かなければいけないところをわざわざやって来てくれた上にコーヒーまでくれたのだから、少し奇妙ではあるけれど、きっといい人なのだろう。そう願う。外れるかもしれないけれど。  僕はお礼を言ってキッチンに向かう。  「清は大学生?」  キッチンでコーヒーを淹れていると、戸田の声が飛んできた。  「はい。いや、うん。この春から」  「出身は大阪?」  「いや、奈良だよ」  「そうか。イントネーションがちょっとだけ関西だからな。でも、結構標準語なんだな。俺が知ってる関西人は外国人相手でも関西弁だし、それが普通だって言ってたから」  「え、そ、そうかな」  僕が慌てると、戸田は笑いながら言った。  「直す必要なんかないさ。言葉は文化の土台みたいなものだから、むしろ訛っていた方がいいと思うんだ」  なんて爽やかな微笑みだ。初対面の時の「アアアーアアー」がなくて、僕が女性だったら、きっと惚れていると思う。  「と、戸田は、東京?」  「いや、もっと南の方」  「でも標準語だね」  「そうか?でも、俺の場合は地元の言葉で話すと伝わらないことが多いからな。いくら文化の土台と言っても、伝わらないと意味がない」
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