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第一話 住民課と光の巨人
まだ6月だというのに梅雨の気配はどこへやら。甲信地方は猛暑に見舞われていた。その甲信の山間部ににある地方都市、七十八(なつや)市の加徳(かとく)支所では今日も職員があくせくと働いていた。この加徳支所は山に囲まれた七十八市の更に山の中にある小さな田舎町を管轄する役場である。
元々は加徳町という果樹園で栄えた町だったが、少子高齢化の煽りを受けて人口が減少し、町の基幹産業である農家も減少。人口は一万人を割る寸前だった。そんな折に平成の大合併があって、加徳町を含む周辺の町村が合併してできたのが七十八市だ。市の人口は令和30年現在、10万人余り。合併した町村の中で最も人口が多く、市街地が発展していた光乃(ひかりの)町役場が現在の七十八市役所本庁となっている。
旧加徳町役場はそのまま加徳支所となり、既に限界集落の様相を呈する旧加徳町区域を管轄している。庁舎は平成初期に建てられ、その後耐震補強はされたものの老朽化が激しく、あまりの古臭さに昭和後期が舞台の映画のロケ地に使われるという皮肉な結果を生んでいた。
加徳支所には総勢60人の七十八市職員が勤務しているが、加徳町時代を知る職員は殆ど退職しており、60歳を超えた再任用の会計年度職員が辛うじて数名残る程度である。その支所の住民課には4名の職員が配置されており、その内の1人、井出淳(いであつし)副主査35歳はうだるような暑さに顔をしかめながら業務に当たっていた。短く刈り上げたうなじからは汗が流れていくのが分かった。170cmの痩せ型ではあるが、半袖のワイシャツはすでに汗でまだらに濡れており、決して清涼感ある見た目とは言い難い。
井出の序列は4人の中で2番目であり、上には課長の村松がいる。村松は50代に差し掛かる年齢だがスマートで若々しく、趣味が登山やスノーボードということもあり、一年中日焼けしている。(とは言え国内でウィンタースポーツができる場所などもう限られているが‥)身長も180cmと日本人としては長身である。リーダーシップを果敢に発揮する方ではないが、多くを語らずコツコツ仕事をこなすタイプだ。
下には今年29歳の嵐山主任と25歳になる会計年度職員の富士がいる。富士が唯一の女性職員で暑苦しい中に住民課の紅一点。中肉中背でとびきり美人というわけではないが、切長の目と薄い唇、聡明でありながら物腰が柔らかく所内の男性職員から密かな人気を獲得している。彼女は主に窓口業務に当たっており、高齢者が多いこの地区の住民に対して難解な手続きを根気強く説明する姿をよく目にする。
嵐山は168cmとやや小柄で少し太り気味だが、人の良さそうな丸顔で性格は見た目のままだった。優柔不断ではあるが、誠実な人柄から同僚や上司かりの評価は悪くなかった。下の2人をまとめるのが井出の役割だった。
9時を回る頃には外では蝉が鳴いており、地域健康課にはマラリア予防接種の助成手続きの列が出来ていた。もはや日本は熱帯の様相を呈していた。空調は機能しているが、省エネ対策で28℃設定となっており、気休め程度の役割しか果たしていない。まだ日本の気温が30℃台だった数十年前に設けられたルールらしいが、未だにそれが引き継がれていた。2000年代から特に騒がれるようになった地球温暖化は収まるどころか加速しており、9時30分には気温が35℃を記録し、市内には猛暑注意報が発令されていた。先ほどからどこからか地響きのような音が聞こえており、井出は「この雷鳴はスコールの前触れだろう」と憂鬱な気分になっていた。専門家によると温暖化はもはや後戻りができない水準に近づきつつあるか、既に限界を超えた可能性すらあると言う。
井出と嵐山は午後に予定されている「加徳地区への移住促進プログラム」の部長レクに向けて村松と打ち合わせをしていた。日本の人口は一億人を割りつつあり、その減少スピードは加速している。総人口というパイは減る事はあっても増えることがない以上、他の市町村から住民を奪うしか方法は残されておらず、地方自治体は日々奮闘していた。
「この事業の対象となる住民の年齢は‥」
「子の進学時の助成は‥」「ひとり親家庭の支援は‥」
予め何ヶ月もかけて作った事業だったのであくまで最終確認といった感じで淡々と打ち合わせが行われる。その最中にも雷鳴は大きく、近くなってきていた。
「今日もスコールですかね‥」と嵐山が苦虫を噛み潰したような表情で呟く。村松も沈んだ表情で頷き「しかし、ここから見る限り天気はそれ程崩れてないね。まぁ、スコールなんていつもそうだけど‥」と窓の外を眺めながら答えた。井出はそんな2人の会話を聞きながら、雷鳴に違和感を覚えた。その雷鳴はあまりにも一定間隔で鳴っており、しかも徐々に大きくなる音に合わせて小さな揺れが生じ始めていた。
「これは何かおかしいぞ‥」井出がそう呟く頃には支所内の人々も異変を感じてざわめき始めていた。音と揺れに合わせて卓上のマグカップがカタカタと揺れ、棚からは文書ファイルが落ちた。
その間にも音はどんどん大きくなり、支所のすぐそばで一番大きな音が鳴った後、ピタリと音は止まった。
「な、何だ?」住民課の3人が戸惑っていると、たまたま外のポストに書類を回収に行っていた富士が井出の元に駆け込んできた。顔面は蒼白で何かを言おうとしているが、上手く言葉にならないようだ。
「どうした?落ち着いて。さっきの音は雷じゃないの?」
井出がゆっくりと尋ねると富士はようやく言葉を発した。
「じゅ‥住民の方が御用との事なんですが」
「え?」
予想外の言葉に井出だけでなく村松、嵐山も呆気に取られる。外からは住民の悲鳴やどよめきが聞こえてきた。井出はとにかく外の様子を確認するために外に飛び出した。
外に飛び出した井出は騒ぎの原因をすぐに把握した。しかし、目の前の事態を現実として受け入れるのには時間を要した。
なんと井出の目の前には巨大な二本の足があった。そして井出がゆっくりと視線をあげるとそこには巨人が立っていた。加徳支所は二階建てであるが、それよりも巨大で恐らく身長は20mを超えている。しかもその姿は我々人類とは似ても似つかないもので、着衣はなく、銀色の身体に赤いラインが入っており、筋骨隆々。顔は面でも被ったようなのっぺりとした金属のような質感で、口と大きく光る二つの目(と思われる)があった。
巨人が歩いてきた跡なのか、後方のアスファルトは所々足形に剥がれていた。どうやら雷鳴の原因は巨人の足音だったようだ。
支所に隣接している駐在所から巡査が飛び出してきて無線で報告をしようとしているが、マトモに取り合って貰えないのか苛ついている様子が分かった。
一方、巨人はというと表情は全く変化がなかった。しかし、幾分か困惑しているのか落ち着きなく周囲を見渡している。
「な、何だこれは⁉️」後方から駆けつけた村松と嵐山も驚きの声をあげる。井出の横に立った嵐山は巨人を見上げて「これは‥光の巨人‥」と呟いた。
「何だ❓光の巨人って❓」井出が尋ねると嵐山は「80年ほど前の特撮番組に出てくる光の巨人とそっくりです。」と答えた。井出も嵐山が特撮マニアと聞いたことはあったが、しかし、目の前で起きている事は現実である。
「あの‥」
その場にいる面々が戸惑っていると、とてつも無く低い声が聞こえてきた。どうやら巨人が言葉を発したようだ。口の開閉は井出達からはよく見えなかったが、確実に巨人の頭部あたりから言葉が発せられている。そういえば富士はこの巨人が七十八市民であり、住民課に用があると言っていた。つまり、彼女はこの巨人と会話をした事になる。その事に気づき、井出は巨人相手にも来庁舎として対応した富士のプロ意識の高さに感心していた。
巨人はゆっくりと低い声で言葉を繋いだ。
「住民課で良いのかどうか分からないんですけど‥」
特撮番組から出てきたような巨人が片田舎の役場に突然現れて「住民課」という言葉を発するというカオスに対して井出の頭脳は処理能力の限界を迎えつつあったが、彼は一歩踏み出し、何とか言葉を振り絞った。
「住民課の井出と申しますが‥どのような御用件でしょうか。」
井出にはこの巨人がどの様な意図を持っているか判断がつかない。もしかしたら無茶苦茶凶暴な奴で街を破壊するかもしれないし、肉食であれば自分達の身が危ないかもしれない。しかし、相手が住民課に見当をつけて訪ねてきた以上、対応しないわけにはいかない。(新採用職員研修でもそう習ったし‥)なので井出としては相当に勇気を振り絞って応対したつもりだった。それに対して巨人の返答は
「え?何ですか?すみません。声が遠くて全然聞こえないです‥」
だった。
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