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序章
「ダイヤの原石になる気はないか?」
勤めていた喫茶店で、エスプレッソを注文してきた50代くらいの紳士にそう問われた日、俺という名の石に初めて日の光が当たった。
いつの間にか名前が変わり、住む場所が変わった。指示通りに仕事を辞め、海が見える美しい建物でそいつに衣食住すべての面倒を見てもらえることになった。
恵まれすぎた環境で課せられたのは、人間の学習能力の極限を試すような過酷な偶像訓練だった。
即興で歌え、1度だけ見せられたレッスンビデオの通りに踊れ、15秒で着替えろ、2週間でバク転をマスターしろ、20km走った後でもすぐに表情を作れるようにしろ、プロの手品師から自力で種を盗め、ピアノの練習曲を1週間で10曲弾けるようにしろ、恋愛に関する質問の上手い躱し方を最低5通り用意しろ、モデルが使用しているメイク道具を説明なしで判別できるようにしろ。出来ないなら腹筋2000回、食事抜き、あるいはさらに難しい課題を追加。
無茶ぶりにも程があるという言葉が可愛く思えてくるほどの試練の目的はただ1つ。
――― アイドルになれ。それだけだった。
その男……鐘崎研人は、そのために俺を養子にした。俺をアイドル……それも、「生きたアイドル」にするために。
生命の危機を感じる日々が続いた1年を乗り越えた春、俺は広々とした「社長室」のソファで巨大なモニターを見せられていた。
両脇には、歌唱トレーナーの仁科珀と、ダンストレーナーのAn-Ber。
画面に映るのは、優れたスタイルを持つ若い男たちが高難易度のダンスをこなしながら必死に歌う姿。1人1人の胸には、番号が書かれたバッジがある。
これは、あるオーディションの最終審査。
「透磨」
養父もとい社長が俺の名を呼ぶ。
スラリとした体躯を上質なスーツで覆う紳士。感情の見えない瞳は、まるで多角的に輝くダイヤモンドのようだ。
「この中から数人、お前の仲間になる者が選ばれる。お前から見て『原石』になりうる有力株はいるか?」
「……俺に決めろと?」
「そうは言っていない。審査はあくまで私と珀、アンベルで行う。ただ、お前の審美眼を確かめたいだけだよ」
「……」
本心では何を確かめたいのやら。でもまぁ、俺がここで何と言おうと、それが実際に審査を左右することはないだろう。
この男は俺を買ってくれている一方で、俺が甘えられない環境を常に用意してくる奴だ。俺の仲間を選ぶ基準に、俺自身の好みを加えるわけがない。
再びモニターに集中する。全員、踊りには凄まじいキレがある。動きながらでもちゃんと歌えている。パフォーマーとしての技量は申し分ない。
しかし、俺が今まで社長に課せられた訓練の数々。そこで重視されていたポイントが、このオーディションでも重んじられているとしたら……。ただ技術があるだけでは駄目だ。
技術よりも求められる要素があるのだ。その要素と、未来のスターたりえる「原石」のオーラを併せ持っている受験者は……改めて見ると、片手で数えられるほどしかいなかった。社長も珀もアンベルも、一応モニターを見つめてはいるが、それほど集中していない様子だ。3人の中では、もう合格者は決まっているのだろう。
「――― 受かりそうなのは、この4人くらいですかね」
俺がディスプレイ越しに指差した面子を見て、社長はニッと若々しく微笑んだ。
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