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私は、昔から年上によくモテた。
中学生の時、通っていた学習塾でマンツーマン指導の講師が、やたらと私の手や肩を触ってきた。
最初はアクシデントを装ったように自然と触ってきたが、段々とエスカレートして、堂々と触ってくるようになった。
私があまり抵抗しなかったのも悪かったのだろう。中学生の私には、反抗的な態度を取ることに躊躇いがあった。何をされるか怖かったのだ。
「今度の休みに、一緒にボートでも乗りに行かない?」
ついには、デートに誘われるようになった。当然のことながら、私には全くその気は無く。怖くなったので、お母さんに相談して学習塾は辞めることになった。
高校生になってからは、家庭教師の大学生にも好意を寄せられていたと思う。
「よくできたね。偉いよ」
と言いながら、大した問題を解いた訳でなくても、頻繁に頭を撫でてきた。
お母さんが用意してくれたおやつのケーキを食べた後、私が使ったフォークをコッソリと舐めていたりした。
家庭教師は実力だけはあったので、我慢して、受験が終わるまでは継続してもらった。
そんなこんなで、私は年上の男性に良い印象を持っていない。
かといって、同年代の男子たちは子どもっぽ過ぎて、恋愛対象には到底なり得ないし、もはや別の生物のように感じていた。
大学は、文学部へと進学した。あまり深く考えておらず、何となく本が好きという理由だけが学部選定理由だった。
同年代の男子たちにもそこそこモテて、デートすることもあったけれども、あまり楽しさを感じなかった。
私には、恋愛は向いていないのかな、と漠然と思い始めていた。そんな頃、ちょうどコマが空いていたから埋めた一般教養の講義。そこで、私の中で神経ネットワークが組み変わるように、大きく流れが変わった。
私が受講したのは他学部の、社会学部の講義だったのだが、端的にいえば、担当の准教授が私の好みのタイプの男性だった。
不健康そうで、気弱な感じで、でも理路整然としていて。ルックスは悪くないけれども、少し猫背で姿勢が悪い。オーラはあまり感じないけれども、いつか何かを成し遂げるのではないかという、予感がした。
彼の挙動を全て眺めていたという一方で、彼の発するエッセンスをルーズリーフに書き留めておきたい、という幸せな苦悩に悩まされる講義の連続だった。
今まで、年上の男性に良い印象を持ったことが無かった。でも、私は年上にはモテるという自負がある。私からアタックしても、きっと上手くいくだろうという根拠の無い確信があった。
彼の講義を進めていくにつれて、思いはドンドンと高まっていった。
ただ、彼とは直接の接点は無い。
私は、今日も彼を眺めていた。
「なあ、アイ」
最初の講義の時、たまたま隣の席になってから、レポートを一緒にやったり、ちょっと遊びに行ったり、何だかんだ付き合いのあるショウタが話し掛けてきた。
「何、ショウタ? 講義中なんだから、邪魔しないでよ」
「アイにとって、良い話があります」
「今じゃ駄目?」
「宮下先生のことなんだけどなあ。まあ、いっか」
ショウタはアイから目線を外した。
「聞く」
ショウタは再びアイの方を向いた。
「アイに言ったか忘れたけど、俺、社会学部なんだよね」
「ほう、知らんかった」
「で、サークルの先輩が、宮下先生の研究室に入っている」
「マジで?」
「マジで。今度、一緒に見学に行ってみないか?」
「行く! でも、ショウタって、あんまり研究室……というか、勉強に興味無さそうだけど?」
「ひどいな……」
「あ、何かゴメン」
ショウタが黙ってしまったので私語はここで終わりにし、私は講義に集中した。
「ショウタ、遅い!」
約束の時間を15分ほど過ぎた頃、待ち合わせ場所の社会学部の研究棟の前で私は大声を出した。
初夏の屋外にいたため、薄っすらと汗をかいてしまっていた。
正面玄関を出入りしていた学生が、私の方を見ていた。
「悪い、悪い!」
ショウタは悪びれた様子もなく、少し薄暗い研究棟に反して、明るい声で私に言った。
「遅れるなら、連絡ちょうだいよ」
「いやあさ、構内に猫がいて、写真撮ってたら遅れちゃった」
ショウタは私に猫の写真を見せてきた。
写真の中の猫は豪華なソファに座って、真紅のマントのようなものを羽織っている。
「こんな猫が構内にいるわけないでしょ!」
「冗談、冗談。ゴメンってば。さあ、行こうか。これあげる」
生協で売っているタピオカミルクティーだ。何種類か売っているが、私の好きなものだった。
「ありがとう」
これを買っていて遅れたのかな。ショウタは特に何も言わなかった。
研究棟の正面玄関のガラス戸を開けて中に入ると、空調が効いているのかどうかは不明だが、外よりは涼しかった。
「さて、ショウタ。宮下先生の研究室って何階?」
「三階」
「アポは取ってる?」
「いや」
「ん? というか、ショウタは面識あるの?」
「いんや」
「はあ? 何それ」
「まあまあ、先輩の後輩だって言えば、何とでもなるでしょ」
「うーん、不安……」
ショウタと話していると、階段まで辿り着いた。
「でさ、アイは宮下先生に何を訊くの?」
階段を一歩上りかけたショウタが、振り返って言った。
「そりゃ決まっているでしょ」
私はキッパリと言ったが、まだ心の中ではハッキリとは決まっていなかった。
三階に着くまでの間、ショウタは特に何も喋らなかった。
研究棟三階の廊下には誰もおらず、シーンとしていた。
「先輩から聞いた部屋番号は333ね。フィーバー」
端から順番に番号を見ていくと、333番の研究室はドアが開いていた。
「ショウタ、先入ってよ」
「用事があるのはアイだろ?」
「段取りとかあるじゃん」
「ヘイヘイ、オーケイ、分かりました」
ショウタは耳の後ろで、両手でOKサインをした。
「失礼します……あ」
「失礼します」
ショウタの後ろから研究室の中を覗くと、宮下先生は助手と思われる若い女性と手を繋いでイチャイチャしていた。
「失礼しました」
「失礼しました」
ショウタに押されるがまま、私も研究室を後にした。
階段を下りながら、私はショウタに文句を言った。
「宮下先生、彼女いるじゃん」
「いや、俺も知らなかったんだよ」
「ごめん、そうなんだ」
「いや、いいって」
「でもさ、ショウタ。わざわざ私のために、こんなメンドいことしてくれて、ありがとね」
「アイは宮下先生のこと好きかなあ、って、何となく分かったから。それに……」
「それに?」
「何か、卑怯じゃん」
「何が?」
ショウタは右拳を握って、少し間を置いてから言った。
「やっぱ、正々堂々と戦わなきゃ」
「何の話?」
「アイワンダー……」
ショウタは膝に手を付いて、研究棟の床を見つめてしまった。
「はあ? 何、急に?」
ショウタは膝をパンパンと二回叩いて、顔を上げて私の方を見て言った。
「それよりさ、アイス食べに行かね? オゴるから」
「オッケー、ナイスアイス! 私ダブルね」
「アイスクリーム、ユースクリーム」
「何それ」
研究棟を歩きながら二人で話をして、正面玄関から外へ出ると、もうすっかり夏の陽気だ。
ショウタは暑そうに手で顔を扇いでいる。
「早く行こうよ」
私はショウタの手首を掴んで、ちょっと暗い研究棟の影から思いっ切り引っ張り出した。
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