プロローグ

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 官用車で党本部まで送ってもらい、資料を持って指定された会議室へ向かう。ときおり見知った議員秘書や党職員とすれ違い「あら、谷口さんこんにちは」と声を掛けられた。  搬入作業さえ手伝ってくれれば後は帰って構わないと言われていたが、栄は傍聴席の隅に座り、友安の講演を聞いていくことにした。同じ役所の人間でもこうやってまとまった話を聞くことができる機会は多くないし、正直インド情勢にも興味はあった。  友安の話術は巧みで、赴任してすぐにデング熱にかかった話や任期中何度も食中毒で倒れた話、街中を練り歩く象や猿に驚かされた話など、聴衆の興味を引くエピソードを織り込みながらわかりやすく現地情勢を伝える。もちろんこれだけの情報を取り込んで帰ってくるには相応の語学力や順応力が必要なわけで、羨望の思いで栄は小さくため息をついた。  講演時間が残り十分ほどになったところで、ポケットの中で携帯電話が震えた。そっと画面を確認すると引越し業者からの電話だ。  まだ正式な渡航時期は決まらないものの、夏場は国際引越しのハイシーズンなので今のうちから数社の業者相手に見積もりを取りはじめている。民間企業と違って公務員の場合こういった部分での職場からのサポートは極めて貧弱だ。  栄はそっと立ち上がり廊下に出ると電話に応じた。内容は大まかな荷物の量や渡航時期を確認するだけのもので、簡単なやりとりだけで終わる。昨年の夏に、長い間生活をともにした相良(さがら)尚人(なおと)との同棲を解消したときに大きな荷物は処分済みで、持っていくのは身の回りのものだけだ。安価だが時間のかかる船便は使わずにすべて航空便に任せるつもりだった。  電話を切って会議室に戻ろうとしたところで、ちょうどエレベーターホールから出てきた人影とぶつかりそうになって栄は立ち止まった。 「すみません」 「いや、こちらこそ」  その声に聞き覚えがある気がして改めて顔を見る。相手もまったく同じことを考えたのか、二人の視線がかち合った。 「——あれ、谷口くんじゃないか」 「羽多野さん、どうしてここに」  驚いた声を上げるのも同時。  だが正直いって省庁勤務の栄が与党の党本部にいたって何もおかしくはない。一方で仕えていた議員のスキャンダルの責任をかぶる形で事務所を辞めた元衆議院議員秘書の羽多野(はたの)貴明(たかあき)がここにいるのには違和感がある。しかも職を追われた直後の羽多野は、もう政治の世界にはうんざりだと話していたのだ。 「あー、ちょっと頼まれて手伝いに。ほら、俺無職だから、たまにイベントの手伝いとかで声が掛かるとバイトしてるんだよ」 「は? 無職?」  思わず栄は素っ頓狂な声を上げた。  だってあれからはもう一年も経つ。  確か公設秘書は公務員扱いだから失業保険もない。人使いの荒い議員のせいで金を使う暇もなかったなどとうそぶいていたが、いくら貯金があるにしても働き盛りの男が一年間も無職のままふらふらしているようなことがあって良いだろうか。こういうふらふらした輩のせいで国の生産性が上がらないに決まっている。  無職という単語に反応して栄の表情が険しくなったのを見てか、羽多野は「君は、相変わらずだな」と苦笑いした。
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