1151人が本棚に入れています
本棚に追加
「谷口さん、これは?」
押しつけたのは、それなりに高価な酒。もしかしたら長尾が持ってきた食品すべてを英国内で手に入れるのにかかる費用を上回るくらいの。
だが、乱暴な言葉なしに長尾を黙らせるにはこれしかないのだ。
「仕事も忙しいし、夜はオンラインで語学や経済のコースもとっていて、本当に時間が取れないんです。毎回お断りするのも心苦しいから、これでとりあえずチャラってことにしてください」
長尾も酒は好きだと言っていたから、渡されたウイスキーが安い物でないことを察したのだろう。明らかにうろたえる。
「よしてくださいよ、お礼なんて冗談です。お忙しいのに誘い続けてたのがご迷惑だったならすみません。こんなものいただくわけには……」
「いえいえ、俺も貰いっぱなしだと気が咎めるので! 実は俺は最近酒も控えているんです。どうぞこれはお友達とでもご一緒に」
節酒というのは当然嘘だが、酒瓶を押しつける理由のみならず今後飲みに誘わないで欲しいという意思表示にもなるはずだ。強引に長尾の手に紙袋を押しつけると、これで用件は終わりとばかりに彼の方をドアに向けて押す。
栄にとって精一杯の拒絶は、さすがの長尾にも届いたようだった。
気圧されたように数歩後ずさりして、飼い主に叱られた犬さながらのしゅんとした様子でようやくドアノブに手を掛けた。
「かえって谷口さんに気を遣わせてしまったようで、申し訳ありません」
力なく垂れ下がった耳や尻尾が浮かび上がりそうな落胆に、罪悪感が刺激される。だが情に流されては元の木阿弥なので、栄は心を鬼にして長尾の背中を見送った。
バタン、と扉が閉まるや否や、気の変わった長尾が戻ってこないよう内側から鍵をかける。
そのまま息を殺して数秒、数十秒、一分。長尾が完全に撤退したことを確信した瞬間、気が抜けて栄は膝から床に崩れ落ちた。
最初のコメントを投稿しよう!