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「は!?」
今度は栄が大声を上げる番だった。羽多野がコロンビア大学? アイビーリーグの一角を占める、言うまでもない難関大学であるコロンビア大学の出身者だと? しかも留学生にとって比較的入学が容易な大学院ではなく、学部入学。
「嘘でしょう……」
「嘘じゃないって。俺、人の顔覚えるの得意だもん」
友安の能天気な言葉を聞き流しながら、栄の中では何かがガラガラと音を立てて崩れていく。
悪趣味だと自覚しながら、気に食わない男のことをこれまで心の中で「たかが秘書」と嘲り、自分より頭脳も学歴もキャリアも劣る人間だと思うことでなんとか溜飲を下げてきたのだ。
しかし友安の記憶が確かだとすれば、学歴は……こちらも日本の最難関大学を出てはいるが国際的な知名度では向こうに分があるし、専攻はわからないがマスター持ち。何より語学能力の面では羽多野は栄の上をいっていることになるし、高卒でそのままアイビーリーグを受験するようならば家柄だってきっとそれなりだ。
それどころか意地の悪いことに羽多野は一度だって自らの経歴をひけらかすことなく「賢い谷口くん」「エリートの谷口くん」と、からかいつつ栄を持ち上げてきた。そんな言葉を真に受けて長いあいだ羽多野に対して優越感を抱き続けてきたなんて——これではまるでピエロだ。
「谷口、なんか顔赤いけど、どうした?」
友安に指摘されれば情けなさも最高潮だ。
もし今、栄の顔が赤いのだとすれば、それは恥辱のせいだ。これまでずっと羽多野は、狭い日本で受験戦争と公務員試験を勝ち抜いてきただけの栄が鼻を高くしているのを内心であざ笑っていたのだろうか。
「……ちょっとトイレ行きたいんで、友安さんは先に戻っててください」
とにかく今は一人になって心を落ち着けたい。栄は一方的な言葉を投げつけると友安に背を向けた。こんな惨めで恥ずかしい顔をしているところを人に見られたくなかった。
唯一救いがあるとすれば、栄が来月にはこの国を離れ三年間は戻って来ないこと。そのあいだに羽多野が他の、政治にも行政にも関係ない仕事さえ見つけてくれれば二度とあの男の見下すような視線にさらされることも、こんな不愉快な目に遭うこともないだろう。今はそれを祈るばかりだ。
その時点で栄はもちろん羽多野の「そのうち遊びに行くからさ」という言葉を真に受けてはいなかった。
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